フォト
無料ブログはココログ

« 内田百閒『冥途』 | トップページ | 余裕 »

2016年5月 8日 (日)

芸術か猥褻か

http://www.kyoto-np.co.jp/top/article/20160507000063
 
よく「芸術か猥褻か」って議論がありますね。
なぜ二律背反で語られるのかが私にはわからない。猥褻な芸術だってあるでしょう。「芸術」なんて自己申告制なので、本人がそうだといえばそうなんです。
だから何?
  
私はこう考える。
「芸術」というのは形而上学的には際限なく自由です。その限りにおいては殺人だって正当化される。つまり思うのは勝手ってこと。
けれど、形而下において表現する際、つまり、そこが法秩序に基づく社会であるなら、法的な制約を受けるのはあたりまえの話。
なんで「芸術」が治外法権だと思うんです? 
だったら私も「表現の自由」の名の下に劇場費踏み倒しますよ。そんなの許されるわけないでしょう?
  
少し抽象的なことをいうと、我々が読む「社会」っていうテクスト=織物は、さまざまな「糸(意図)」が交錯して一枚の面をなしているんであって、「芸術」だってその糸のうちの一本に過ぎないんですよ。
 
こういう理屈っぽいのは芸術家らしくないですか?
だったら私は芸術家なんかじゃなくて結構。

« 内田百閒『冥途』 | トップページ | 余裕 »

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 内田百閒『冥途』 | トップページ | 余裕 »