芸術か猥褻か
http://www.kyoto-np.co.jp/top/article/20160507000063
よく「芸術か猥褻か」って議論がありますね。
なぜ二律背反で語られるのかが私にはわからない。猥褻な芸術だってあるでしょう。「芸術」なんて自己申告制なので、本人がそうだといえばそうなんです。
だから何?
私はこう考える。
「芸術」というのは形而上学的には際限なく自由です。その限りにおいては殺人だって正当化される。つまり思うのは勝手ってこと。
けれど、形而下において表現する際、つまり、そこが法秩序に基づく社会であるなら、法的な制約を受けるのはあたりまえの話。
なんで「芸術」が治外法権だと思うんです?
だったら私も「表現の自由」の名の下に劇場費踏み倒しますよ。そんなの許されるわけないでしょう?
少し抽象的なことをいうと、我々が読む「社会」っていうテクスト=織物は、さまざまな「糸(意図)」が交錯して一枚の面をなしているんであって、「芸術」だってその糸のうちの一本に過ぎないんですよ。
こういう理屈っぽいのは芸術家らしくないですか?
だったら私は芸術家なんかじゃなくて結構。
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