核保有の是非
http://www.yomiuri.co.jp/politics/20160330-OYT1T50032.html
おおさか維新の会代表の松井・大阪府知事は29日、日本の核保有の是非について議論するべきだとの認識を示した。
松井氏は府庁で記者団に「完璧な集団的自衛権(で日本も相応の負担をする代わりに米軍に守ってもらう)か、自国で全て賄える軍隊を備えるのか(を議論すべきだ)。
武力を持つなら最終兵器が必要になってくる」と述べた。
米大統領選候補者のドナルド・トランプ氏が、在日米軍を撤退させる可能性に言及したことを踏まえたもの。
おおさか維新の橋下徹・法律政策顧問もツイッターに「トランプ氏躍進は平和ボケ意識を改める大チャンス。集団的自衛権の否定は完全自主防衛そして核保有の流れになる」と書き込んだ。(2016.3.30・読売新聞)
議論はしたらいい。
むろん議論の結果が常に「正しい」とは限らない。
しかし弁証法的な思考の末に得た「結論」ならば、仮にそれが間違いだと気づくときがきたとしても、どこがどういう理由で「間違って」いたのか検証可能だろうし、検証できれば、新たな結論を選び直すこともできるだろう。
最悪なのは思考停止することだ。
そして思考停止者が寄り集まって、その「寄り集まった」ことを自信とし、おのが「信念」を正当化することだ。
世界のあちこちで起きているテロを見てみろ。論理を捨象して信念をフィジカルに昇華した結果があれだ。
「正義」にかんして簡単に「自明」を口にする者は、一度ヒュームあたりの懐疑論に落ち込んでみるといい。
その上で自分が現実の中で何を何のために選択するのか。
その自覚が主体性ってもんではないか。
民主主義というのはこの主体性に基づく多数決のことだ。
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