アンガージュマン気取り
すでに何度か言及したが、ルソーのいう全体意志と一般意志。
これを門外漢なりに解釈すれば、民主主義下では選挙を通じて全体意志は示されるけれど、それは必ずしも一般意志とイコールじゃないから両者の間に軋みが出る。
その「軋み」のひとつがデモなんだ、というふうに私は思ってる。
そしてデモは時の為政者が次の選挙を意識することで政策に影響を与える(こともある)。その意味では、デモも民主主義の一部であり、ある程度の有用性がある。
なので私はデモを全否定しない。
むろん「全否定しない」というのは「全肯定する」って意味じゃない。ひとつのデモに肯定できる側面とできない側面があるってことだ。
私がとても肯定できないのは、論理的思考を捨象して信念をフィジカルに昇華すること。それでアンガージュマン気取り、つまりバカが何かを「やった気」になる。そうしておのが思考停止を正当化する。
たとえばこの季節、すぐにこういうのが現れる。
桜の花の散る風景に特攻隊を思い、これと安保関連法とを短絡的に結びつけて語り、恥じることがない。
自己正当化のためにはまず、アベが、特攻隊をよしとしていると規定しなければならない。そういう「物語」の中でしか、自分は主人公を演じられない。
こういう思考停止者が、類は友を呼ぶのパターンで集って情緒的に愚かさをこじらせるのだ。
そこにメディアの力がくわわって仮に多数派となれば、それが我が国の全体意志となる。
民主主義ってそういうものだ。
実際、そのようにして民主党政権は誕生したのだし、我々は「命を守りたい」の演説を聞かされて飯を噴いたのだ。
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