喜びの琴事件
http://www.sankei.com/photo/daily/news/160229/dly1602290023-n1.html
「喜びの琴事件」で文学座にサヨナラした三島由紀夫が残した言葉を私がコピペする。
***
諸君が芸術および芸術家に対して抱いてゐる甘い小ずるい観念が今やはつきりした。なるほど「喜びの琴」は今までの私の作風と全くちがつた作品で、危険を内包した戯曲であらう。しかしこの程度の作品におどろくくらゐなら、諸君は今まで私を何と思つてゐたのか。思想的に無害な、客の入りのいい芝居だけを書く座付作者だとナメてゐたのか。さういふ無害なものだけを芸術と祭り上げ、腹の底には生煮えの政治的偏向を隠し、以て芸術至上主義だの現代劇の樹立だのを謳つてゐたなら、それは偽善的な商業主義以外の何ものなのか。
諸君によく知つてもらひたいことがある。芸術には必ず針がある。毒がある。この毒をのまずに、ミツだけを吸ふことはできない。四方八方から可愛がられて、ぬくぬくと育てることができる芸術などは、この世に存在しない。諸君を北風の中へ引張り出して鍛へてやらうと思つたのに、ふたたび温室の中へはひ込むのなら、私は残念ながら諸君とタモトを分つ他はないのである。
今年一月の分裂事件以後、私は永年世話になり、かつ、相共に助けてきた諸君のために、微力をつくしてきたつもりである。諸君に対する愛情は、今急に吹き消さうとしても、吹き消せるものではない。しかし、諸君が愚劣の中へおぼれようとするとき、私にはもうその手を引張つて助け上げる力はない。むりにさうすれば、私も共に愚劣へおぼれ込む他はないからだ。
— 三島由紀夫「文学座の諸君への『公開状』 ― 『喜びの琴』の上演拒否について
***
杉村春子個人に対してはこう言ったという。
〈「俳優は、良い人間である必要はありません。芸さへよければよいのです。と同時に、俳優は、俳優に徹することによつて思想をつかみ、人間をつかむべきではないでせうか。組織のなかで、中途はんぱなつかみ方をするのはいけないと思ひます」〉
http://www.weblio.jp/wkpja/content/%E5%96%9C%E3%81%B3%E3%81%AE%E7%90%B4%E4%BA%8B%E4%BB%B6_%E5%96%9C%E3%81%B3%E3%81%AE%E7%90%B4%E4%BA%8B%E4%BB%B6%E3%81%AE%E6%A6%82%E8%A6%81
« 言葉に責任を持つということ | トップページ | 文化庁移転 »
コメント