のり旧ノート(Inspiron 7359 2-in-1)
2015.12.27に購入
« 2015年11月 | トップページ | 2016年2月 »
2015.12.27に購入
http://jp.wsj.com/articles/JJ10232557103171793302519126070033129398109
共産党は2004年の綱領改定により、天皇制について「憲法上の制度であり、その存廃は将来、情勢が熟したときに国民の総意によって解決されるべきものだ」との立場。これを踏まえ、志位氏は「出席した場合、『天皇制に反対する立場から欠席している』との要らぬ誤解を招くことなく、憲法順守のため改革を求める真意がよりストレートに伝わる」と語った。
***
『天皇制に反対する立場から欠席している』というのが『要らぬ誤解』であるというなら、どういう立場で欠席してるんだか「正解」を教えてくださいよ。
あと、共産党のいう『憲法順守』は、憲法典の文言の更新を認めないってことだと思うが、そうした立場で『憲法上の制度』をどのように『解決』するというのか? 『情勢が熟したときに国民の総意』って何? やっぱ「暴力革命」ってこと?
クルクルパーがロジックを軽視し、稚拙な心情倫理に基づく「行動」に陶酔するのを国会前あたりで見かけるが、彼らが共産党と親和性が高いのは、つまりこういうことなのだ。
「児童ブンガク」(「文学」じゃないよ「ブンガク」な)の担い手は、子供の頃に教わったプリミティブな価値観が「絶対」で、アプリオリな「正義」が存在し、それが大人になるに従い「妥協」を余儀なくされる、という通俗的な構図で「物語」るわけ。
この「構図」の間違いに気づけないから、もうぜんぜん話にならない。
要するにマジメに考える気がないんだね。
だったら黙ってりゃよさそうなものをなぜか善人ヅラして語らずにはいられない。その自己顕示欲が彼/彼女をバカ丸出しの状態にするのだけど、自己批評性が欠如してるからそんなことにも気づかない。ある意味めちゃくちゃハッピーな存在。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2015122502000138.html
はいはい、心情倫理、シンジョーリンリ。
事象の臨在感的把握(山本七平)によって絶対悪を設定し、そのイメージに基づいて負の可能性を強調すれば蓋然性を無化できると信じてる。
こういう思考態度が「放射脳」を生み、彼らの吐く科学的根拠のない独善的言説が、被災地の風評被害を招いたことも、もう忘れたか?
忘れる以前に理解してない?
ほんっとバカは死ななきゃ治らない。
http://www.fukuishimbun.co.jp/localnews/npp_restart/86245.html
むろんそれでも事故の起こる「可能性」は、ある。
明日、地球が終わる「可能性」が、ある/なし、でいえば、あるのと同じことだ。
つまり「可能性」をいっても意味がない。問題は「蓋然性」の多寡。それを合理的に判断するために基準が設けられているのだし、基準に照らし合わせるために、リスクの定量的評価が必要になる。
え、もしかして、定量的/定性的ってのがわからない?
だったら辞書ひけといいたいが、たとえば、そんなことすらしない知的怠慢者が、この期に及んで少年ジャンプレベルの「正義」を振りかざし、単純な世界観で、原発=絶対悪をいう。恥ずかしげもなくいえてしまう。そのオツムの程度がどんだけのもんか、ペーパーテストを実施して、点数で表すのが「定量的」評価ってことだよ。
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2015122500595
いわゆる従軍慰安婦問題の妥結に向け、日本政府は元慰安婦に対する人道支援を拡充するため、1億円超の新たな基金創設を提案する方向で調整に入った。
***
はあ? また同じ轍を踏むの?
いくらそれが「謝罪」とは意味が異なるといったところで、「だったらなぜ基金を創設したのか?」みたいな話になるにきまってるでしょう? ニュアンスが捨象されるのは、先の産経元ソウル支局長起訴問題をみても容易に想像つくじゃんか。仮に「妥結」したとしても、「金で黙らせた」という新たな「物語」を孕むことになる。
私はこの問題、冗談抜きで韓国が「近代化」するのを待つしかないと思うよ。下手なことしてこれ以上こじらせないでくれ、鬱陶しい。「合意文書」で「最終決着」するくらいなら、そもそもこんな「問題」は起こってない。
http://k-tai.impress.co.jp/docs/news/20151225_737091.html
玉川事業場内にあるんですね。生産拠点は埼玉でした。今もそうなんでしょうか?
新入社員研修で埼玉の工場(「生産分身会社」といいました)に行かされたのを覚えてます。四半世紀も前の話。
池袋集合で、そこから貸し切りバスなんですが、札幌から出てきたばかりの私は土地勘がまるでない。当時、登戸の独身寮にいまして、フツーだったら小田急で新宿、そこからJRで池袋、と行くところを、JRで川崎、品川、池袋と遠回りしてしまい、危うく遅刻しそうになりました。
当時、スマホがあればねー。
http://www.sankei.com/politics/news/151226/plt1512260001-n2.html
政府内には「問題が完全に決着し、二度と蒸し返されないことが担保されるなら、増額してでも一括で対応し、全て終わらせるべきだ」との意見がある。
***
そんな意見を誰が言っているんだよ? バカなんじゃないか?
「担保」なんかされないし、仮にされたとしても、ダメなもんはダメなんだよ。〈強制連行によって性的搾取を行った日本軍の末裔〉が、今度は〈金で口封じをした〉ということが「事実」として語り継がれることになるんだから。
http://www.sankei.com/world/news/151226/wor1512260032-n1.html
ほんといい加減にしろと言いたい。
さらに頭にくるのはこれに同調する日本国内のバカどもだ。
「関係者」の話を〈実際に聞いた〉というおのが「体験」を根拠とし、うすら左翼が弱者に寄り添う優しい私を演じるが、その「優しさ」が、誰かに濡れ衣を着せることによって成り立つものであるということはまるで考えない。
考えないのはバカだからしかたがないが、目先の「正義」を消費したがるその性癖はなんとかならんのか。
バカが集って互いの善人性を承認し合う。「寄り添う私」に寄り添いたがる。そういうのを世間じゃ偽善者と呼ぶのだ。
刻々と変わりゆく状況に目配りし、そのとき最善と思われる選択をプラグマチックにしなきゃならない。
その「思われる」は動機の純粋性の強調ではダメなのだ。蓋然性に基づく論理的根拠がなければ。
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/fnn?a=20151207-00000526-fnn-soci
「打倒!! 軍国主義 打倒!! 日米同盟 そして平和の基本は日露友好」などの書き込みも残されていた。
***
この手の連中にしばしば見られる幼稚な独善性。
風船飛ばしてる「市民」もいたけど、やってることはこいつと一緒だ。
やむにやまれずやったのだ、と彼らはほざくのかもしれないが、動機の純粋性は行為を正当化しない。「平和を思う気持ちでやりました。炎天下、歯を食いしばって頑張りました」なんてのは自己陶酔を助ける以外に何の価値もない。当たり前だ。そんなことはガキでも知っている。
ところが類は友を呼ぶらしく、彼らは閉じた集団内で互いの善人性を承認し合う。「炎天下、歯を食いしばって頑張」ったことが美徳として評価される。そうして愚かさをこじらせて、軽々しく「平和」を口にしたがるのだが、民主主義の手続きを経てそれを実現する方法も、そもそも「平和」とは何であるのかもマトモに考えようとしない。ただただ澄み切ったおのが善人性を味わい尽くすのみ。
このおそるべき思考の怠慢。
「思考」する、というのは現実を参照した内実ある言葉で論理を組み立てるということだ。それをしないから、通俗的な「物語」に陶酔し、むしろそんな独りよがりが平和を乱しているということにも気づかない。
端的にいって頭が悪すぎるんだよ。
最近のコメント