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2015年10月

2015年10月27日 (火)

風待ち

Stage48274_1


今井一隆(第26回文化庁舞台芸術創作奨励賞特別賞/「日本の劇」戯曲賞2010最優秀賞)の新作オリジナルの会話劇。時を隔てて浮かび上がる何の変哲もない「青春」と、その終焉――。
 
【会場】Broader House(京王井の頭線・東松原駅徒歩2分)
http://broaderhouse.info/
 
【タイムテーブル】
11月4日(水)19:30
11月5日(木)14:00/19:30
11月6日(金)14:00/19:30
11月7日(土)14:00
11月8日(日)14:00
 
【上演時間】約90分
 
【出演】歌野美奈子、加藤さと、尾﨑彰雄、大橋あをい、片桐美穂、西島美都子、滝野洋平、ヒロト
 
【料金】一般3,800円、学割2,800円(前売、当日とも同料金。学割は受付で要学生証提示)
 
【スタッフ】
舞監 宮田克徳
照明 高橋清志
美術・音響・映像 今井一隆
制作 高橋俊也(THEATRE-THEATER)/ピタパタ制作部
企画・製作 ピタパタ
 
【その他の注意事項】
未就学児童入場不可。
受付・開場は開演の30分前。受付順にご入場いただきます。
専用駐車場はございません。
上演中もペットボトルなど蓋つき容器のソフトドリンクに限りお飲みいただけます。ただし周囲のお客様にじゅうぶんご配慮ください。あくまで「水分補給」という趣旨をご理解ください。
 
【お問い合わせ】
imaikazutaka1105@gmail.com
  
【チケット取り扱い】
pitter-patter 公式ウェブサイト:
http://homepage2.nifty.com/k_imai/
CoRich舞台芸術!:http://stage.corich.jp/stage_detail.php?stage_id=60952
 
【PV】
https://youtu.be/70zMYKdYhOE

2015年10月20日 (火)

4年半

http://www.nhk.or.jp/sapporo-news/20151018/5521021.html

『札幌学院大学の川原茂雄特任教授が講演し、「事故から4年半が経ったが、ふるさとを失った人たちがいる現実や、子どもに甲状腺がんが見つかっている現実を重く受け止めなければならない」と述べました。』

***

札幌学院大学の特任教授が講演したのは「事実」だろうが、そこで語られた内容が「事実」であるとはとても思えない。
「子どもに甲状腺がんが見つかっている現実」。
たしかに甲状腺癌が発見された「現実」はあるだろう。
しかしその「現実」は過剰診断がもたらしたものだとわかっている。今まで見つかっていなかった甲状腺癌が、とくに検査することで見つかったのだ。
それをあたかも原発の放射線と因果関係があるかのような言いぐさでNHKは放送する。事故から4年半が経ったこの期に及んで、これである。

伝統

http://news.nifty.com/cs/domestic/societydetail/tbs-20151019-44045/1.htm 

伝統=善であると、無根拠に信じられがちだけど、「善」とされるにもそれなりの理由があるわけですよ。ある事柄が長い時間をかけて検証に耐えてきた、その結果を引き継ぐのが合理的っていう、いわばバーク的な考えなわけでしょ。
だとすれば、この動画の中で語られている伝統って「伝統」といえるのか。
私が子供の頃(だから40年くらい前)にも、運動会で組体操ってやらされましたけど、せいぜい4段くらいのシンプルなもんでしたよ。べつに決まりがあったわけじゃないでしょうが、フツーに考えてそんなもんです。 それが「感動」とやらを触媒にしてどんどんエスカレートしていったわけでしょう? もうその時点で「伝統」じゃなくね? 「組体操」の名は継続しつつも、その中身はすでに「せいぜい4段」じゃないわけで、時間の検証に耐えてないんだから。

2015年10月19日 (月)

わかる

「自分も不登校でした」「いじめられっ子でした」という「体験」を根拠に、「だから、自分にはよくわかる」と言いたがるのがいるけれど、そんなのは、生まれ故郷が一緒であるとか、母校が同じであるという程度の属性に過ぎないのだと思う。せいぜい「わかる気がする」だけだろう。むしろどうしてそう簡単に他人のことを「わかる」と思えるのかが、私にはわからない。
彼らはたいてい共通の体験を囲い込むことで、おのが言説を特権化しようと(無意識に)しているように見える。「体験してない人にはわかるまい」という例の捨て台詞で、相互不理解の責任を相手に一方的に転嫁する。
たしかに細部に生々しい共感があるのは事実だろう。

たとえば私は劇を書く人間だから、劇作家に共通のある悩みに共感することはある。だが、私の「悩み」は劇作家一般のそれを代表してはいないし、各人の抱える悩みをほんとに「わかる」ことなど、まずない。
そもそも「わかる」とはどういうことか? 
それは固有の体験を類型化し、時系列を整理して、ある程度通りのいい物語に仕立てるということだ。支離滅裂な悪夢を他者に語るようなもの。自分が見たままの夢の印象を言葉にすることなど不可能で、必ず「嘘」が含まれる。コミュニケーションを言葉が媒介する以上、言葉にならない何かが捨象され、すでに常にこぼれ落ちている。
そしてこぼれ落ちたそれこそが、実は一番わかってほしい部分だったりする。

2015年10月 5日 (月)

俺的

パロールとエクリチュール、つまり話し言葉と書き言葉。
稽古場で「俺的には」と言ってる自分に気づき、「あ、これ、地の文じゃまず書かないけど、口では言うなあ」と思ったのだった。
会話劇の書き手にとって(書き手的には?)、いわゆる「言葉の乱れ」は取材の対象。

閉じた先に開く

「閉じた先に開く」とか「開いたがゆえに閉じる」とか、逆説を弄ぶのでなしにかなり本気で思うのだけど、私が勝手に言ってるだけで一般に流通してるフレーズじゃないので、説明するのがとても厄介。
どういえば伝わるのだろう?
たとえば後者については、こういうこと。
あるカルト集団の中にあっては、その集団に支配的な価値観こそが彼/彼女の「世界」なわけだ、少なくとも当面は。処世術として周囲に迎合する(開く)あまり、むしろ集団の外側にある世界の価値観とかけ離れてしまう(閉じる)ということ、そしてしばしばそのことに彼/彼女は無自覚であるものだということ。

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