法の支配
【現代の憲法論では、憲法典で明示されている基本的諸権利の保護が、憲法の最重要機能と見なされることが多いが、憲法典の具体的な規定よりも、「法」を制約するメタ法的規則を重視するハイエクは、そうした見方とは一線を画している。そうした見方をしてしまうと、憲法典に明記されていない――が、慣習として確立されている――“権利”が軽視されたり、憲法典に書きさえすれば、普遍的権利になるかのような幻想が生じてくるからである。「憲法」は、その社会にすでに存在する「共通の信念」を部分的に成文化したものにすぎない。】
(仲正昌樹『精神論ぬきの保守主義』第六章 ハイエク―自生的秩序の思想)
***
メタ・ルールとしての「法の支配」。
『憲法は、立法過程を「共通の信念」と適合させるための媒体であって、それ自体に絶対的価値があるわけではない。』
これがハイエクの考え方。私もこの考えに近い。
仲山氏はべつの著書『ポスト・モダンの左旋回』の中でこういっている。
【「運動」というのは、自らの「理想」とする社会のイメージと、「現実」の社会の間に差異を感じる諸個人の「連帯」としてその都度、立ち上がってくるはずのものであって、そこから特定の「集合主体」に特化した、“われわれの運動”なるものが出てくるというのは(非弁証法的な)“矛盾”である。】
ある業界に属する者たちが判で押したように同一の政治的傾向を示すのは、〈類は友を呼ぶ〉というより〈朱に交われば赤くなる〉から、と考える方が自然だ。
要するに付和雷同。普段からろくすっぽ自分の頭で考えることをしてない(自称)芸術家たちが、あらかじめ用意されたこんなプラカードを揃って掲げておきながら、平気で「個性」とか抜かすんだから臍で茶を沸かす。
なるほど「日本国憲法」を小中学生並みのソボクな読解力で読めば、自衛隊は「違憲」ということになるのだろう。
しかし、メタ法的規則を重視する立場で憲法を考えるならば、自衛隊は当然合憲。むしろ、これを排除する憲法典の記述こそが憲法違反 ということになる。
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