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2015年8月10日 (月)

文意

https://twitter.com/kazuhisa_ogawa/status/630368091558408192

こういう大きな文脈で憲法を「読む」のって大事だと思いますよ。
私が憲法改正が必要だと考える理由は(また逆説的な言い方で、護憲派には詭弁のように思われるかもだけど)大きな文脈から合理的に読み取れる文意を表層的な文言が表現し切れてないからです。
どういうことか?...

たとえば昔、「風呂は肩までつかれ」と親に言われたもんです。けど今、それだと心臓に負担がかかるのでよくないという説が有力になった。「肩まで」のレトリックで親がいわんとしたのは、要するに〈よく温まれ〉ということ。それが風邪をひきにくくしたり、子供の〈健康にとっていい〉と考えられるから。
そういう「文意」こそが読み取られるべきなんであって、「肩まで」に拘り、心臓に負担をかけて健康を損なえば、むしろ親の言いつけに背くことになる。
かように「肩まで」の記述は状況の変化した後に本来の文意と合致してない。〈健康のためによく温まれ〉という文意そのものは一貫して変わってないにもかかわらず。そういうことです。

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