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2015年8月

2015年8月29日 (土)

そば

美味い蕎麦を食い、熱い蕎麦湯を飲むと、幸せで穏やかな気持ちになるので、世界中に蕎麦を広めれば、地上から争い事がなくなるのではないかと思ったが、あんまり美味くないのを食えば、かえって不機嫌になるので、それでなかなか世界平和が実現しない。

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日弁連

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150827-00000019-jij_afp-int

これって「日弁連」全体としての意思表示なわけでしょ? 全会一致なの? それともこういう「意思表示」には会員の何割以上の賛成が必要とか、規約に定められてんの? あるいはもっとべつの合理的な方法で? 最低限、多数決はとってるんだよね? いつ、どこで、その手続きが行われたの? まずはそれを明らかにしてくれよ。
弁護士を続ける以上、辞めることのできない組織だというし、まさか一部の会員の勝手な価値判断で「全体」の意志とするようなデタラメやってるなんてことないよね? 

2015年8月27日 (木)

バブル

http://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20140131/259113/?P=2

『まず、「バブル経済」というキーワードで検索すると、90年2月21日付の毎日新聞に掲載された記事、「日経連会長、金融界の自制要求 土地へ融資や就職協定順守」が初出である。やはりバブル崩壊後、90年になってからの登場だ。前の日の2月20日に行われた記者会見で鈴木永二日経連(日本経営者団体連盟。02年に経団連と統合して日本経団連が誕生)会長が、「金融界は影響力の大きさを認識せずに、就職協定を守らなかったり、バブル(泡)経済に対して過剰融資をしている」と批判したことを伝えている。』

2015年8月22日 (土)

Twinklestars

https://youtu.be/e3DiAnNThLI

 

Cymbalsみたい、と思ったら、Cymbalsの中の人が作詞作曲なのだった。
5年くらい前? 発売当時、このグループの存在自体まったく知らなかったし、多くの人もそうだと思うけど、BABYMETALのブレイクで「発掘」されてる模様。YouTubeの書き込みに、やたらに英語が目立つ。
何がどう転ぶかわからんよねえ。人間万事塞翁が馬。...

しかし、ゆいもあ、ちっちぇーなあ。武藤彩未がセンターなのは年功序列か。私としてはもちろん、堀内まり菜が真ん中であって欲しかったわけですが。けど、まり菜にばかり気を取られて、飯田來麗をスルーしてたのは迂闊でした。
ていうか『ラピカム』の振り付けが見たいんですけど。MV存在しないんすかね?

2015年8月10日 (月)

文意

https://twitter.com/kazuhisa_ogawa/status/630368091558408192

こういう大きな文脈で憲法を「読む」のって大事だと思いますよ。
私が憲法改正が必要だと考える理由は(また逆説的な言い方で、護憲派には詭弁のように思われるかもだけど)大きな文脈から合理的に読み取れる文意を表層的な文言が表現し切れてないからです。
どういうことか?...

たとえば昔、「風呂は肩までつかれ」と親に言われたもんです。けど今、それだと心臓に負担がかかるのでよくないという説が有力になった。「肩まで」のレトリックで親がいわんとしたのは、要するに〈よく温まれ〉ということ。それが風邪をひきにくくしたり、子供の〈健康にとっていい〉と考えられるから。
そういう「文意」こそが読み取られるべきなんであって、「肩まで」に拘り、心臓に負担をかけて健康を損なえば、むしろ親の言いつけに背くことになる。
かように「肩まで」の記述は状況の変化した後に本来の文意と合致してない。〈健康のためによく温まれ〉という文意そのものは一貫して変わってないにもかかわらず。そういうことです。

2015年8月 9日 (日)

メロン

そういや収穫された夕張メロンをトラックに積むバイトをしたことがある。3日間くらい。というのも日によって現場が変わるのだ。肉体労働の派遣。1990年前後の札幌で、1日7千円から8千円くらい。バブルっていうけど、そんなもん。ただ、選ばなければ仕事はいくらでもあった。
「メロン」はわりと楽勝だったけど、「引っ越し」と「建築現場」がキツかった。クライアントは時間いっぱい「労働力」を使い切ろうとするもんなあ。なるほどこれが「搾取」というやつか、と思いましたよ。
建築現場で一緒になったアンチャンが「いい人」で、車でアパートまで送ってやるというのだけど、車高の低い改造車で、内装も場末のスナックみたいに赤いベルベットでテラテラしてて、何よりその人自身が、もう見るからにアレなもんで「や、ちょっと寄るとこあるんで」と断った。

地獄への道は善意で舗装されている

http://chuplus.jp/paper/article/detail.php?comment_id=293533&comment_sub_id=0&category_id=204&from=news&category_list=204

『以前に本で読んだ日本への引き揚げ者の逸話を紹介した鶴瓶は「母親が病気で歩けなくなったわが子を、一緒に逃げるほかの人たちの足手まといにならないように『ごめんなー』ゆうて首を絞めたそうです。普通じゃなくなるのが戦争。戦争は絶対にしちゃだめ」と力説した。

その上で、怒りの矛先を安倍政権に転じ「違憲と言う人がこれだけ多いのにもかかわらず、なにをしとんねん」と安保法案の強行採決を批判した。「民主主義で決めるんなら、多い方を取るべきですよ。変な解釈して向こう(戦争)へ行こうとしているんですけど、絶対あかん」と言い切った。 』

***

たぶん「いい人」なんだろう。きっと偽善者ですらない。だから選挙結果を軽んじる主張をしながら平気で『民主主義で決めるんなら、多い方を取るべきですよ』などと、トンチンカンなことをいえてしまう。情緒的な「物語」がトンチンカンを正当化してくれると踏んでいる。そういう戦後教育的な甘ったれた思考の風潮に馴れきっている。その態度を「思考停止」と批判すれば、「物語に感動した私」という揺るぎない正しさを備えた人格そのものが否定されたと解釈する。
つまり「言葉」が通じない。
山本七平『「空気」の研究』を思い出す。「戦争」に対する臨在感的把握。この手の「いい人」たちは、自分の「善意」が他人を傷つけたり、ときに殺しもするのだということにまるで想像が及ばないのだろう。恐ろしいことだと思う。
なるほど「地獄への道は善意で舗装されている」。

2015年8月 8日 (土)

サプライズ

結婚して25年。妻に「サプライズ」とか一度もしたことないし、されたこともない。私がそういうのが大嫌いだということを妻もよく知っているからだろう。べつに驚かされることがイヤなんじゃない。そんなんで喜ぶと見積もられてることに腹が立つ。ひとを安っぽい物語の登場人物として勝手に使用しないでもらいたいのだ。

2015年8月 7日 (金)

鬱陶しい

http://mainichi.jp/feature/news/20150803mog00m040007000c.html

『開沼さんは、事故に関心を寄せる県外の人々、特に反原発の運動家の方々の「滑った善意」がいかに「ありがた迷惑」であるか、繰り返し語られています。巻末には「ありがた迷惑12箇条」まで用意され、あたかも「県民以外は事故について語ってほしくない」と言わんばかりです。』
***
べつに「県民以外は事故について語ってほしくない」なんて言ってないんじゃない?〈寄り添う〉系が鬱陶しいって話でしょ。鬱陶しいどころか、実害あるわけだし。
たとえばしつこく子供の県外移住を勧めてたやつ。まあ、かつていろいろクダラナイ記事がシェアされ流れてきたけれども、あなた方は、自分が善人面するために、被災地を「利用」したんだよ。おのが「善意」を成立させるためには科学的に根拠のない低線量被曝の害を前提としなきゃならない。だからグルメ漫画原作者による荒唐無稽な「鼻血」騒ぎも、蓋然性をまるで無視して、漫画原作者を擁護したわけだ。つまり是非とも福島は「もう住めない」土地であってほしいわけだよ。
そういう無責任な善人面が被災地にどれだけの風評被害を与えたことか。

八方美人

ある男のあまりの八方美人ぶりにドン引き。と、ん? と引っかかりながらもスルーした過去の出来事が思い出され「ああ、なるほど!」と、点と点が結ばれ線になる。

2015年8月 2日 (日)

対話の成立しない人間がつくる演劇

http://www.newsweekjapan.jp/hosoya/2015/07/post.php

『これほどまでに抽象的な平和を説くことに熱心で、これほどまでに他国の平和を実現することに無関心な国民も世界ではほかにいないのではないか。今、官邸や国会の周辺で安保法制案に反対する人々は、実際に戦闘が行われているウクライナ東部や、「イスラム国」の攻撃を受けているシリアにおいて、具体的にどのような措置を執ることで戦闘が終わるのか提案をすることを、なぜしないのだろうか。』
***
いかにして「平和」を実現するか。その「方法」について議論しているときに、どれだけ自分がそれを強く望んでいるかをアピールするだけなのだから、話が噛み合うはずがない。
 
ところで「赤旗」によれば、〈戦争法案反対声明 賛同演劇団体106に〉なのだという。(
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik15/2015-07-31/2015073117_02_1.html
この「106」も上記「抽象的な平和を説くことに熱心で」「他国の平和を実現することに無関心な国民」の典型だろう。〈戦争法案〉などというレッテル貼りが示唆的だが、イデオロギーの下に徒党を組んで内輪で互いの善人性を承認し合う(=選良意識)ばかりで、意見の異なる者の話をまるで聞こうとしない。独善的で他者との対話が成立しないのだ。
対話の成立しない人間がつくる演劇って何なのかと、同業者として思う。

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