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2015年7月19日 (日)

児童ブンガク

http://www.j-cast.com/2015/07/17240574.html

端的にいえば「独善」なんだが、ではどうしてこういう独善的な思考に陥いってしまうのか?
そもそも「善」て何? っていう自問自答が足りないんだと思う。
その源泉が何で、どういう回路を経て社会的に正当性が付与されるか。そういうことを論理的に考える思考パターンが欠如している。
 
この「欠如」を正当化するのが、児童ブンガク的価値観なんだろう。
「児童ブンガク」というのは私が勝手にいっている便宜的な比喩で、不適切だったら関係者の皆さんゴメンナサイだが、つまり「(弱い)善の私/(強い)悪の敵」の単純化された対立構造で物語が展開されがちということだ。
ほんらいならば「私」の「善」も、その成分=構造が明らかにされる必要がある。しかし児童ブンガクはその一切を不問に付す。ただ、己のキヨキココロ=心情倫理ばかりを重んじ、そこにアプリオリな「善」を設定する。
   
政治家というのは大衆の心情倫理を利用する。そのいい例が先日国会でやられた「プラカード」だ。
与党議員と同じ重みの一票を投じる「構造的」な立場にいながら情緒的に「弱者」を気取る自己演出に多くの国民はドンビキしたはずだが、ある種の人はあれに共感してしまう。
そこが彼ら議員の狙い=俗情との結託だ。
民主主義を言うのなら、ここにこそよく気をつけなきゃならないはずだけれど、日頃「権力の監視」を謳う左派系の新聞は、こぞってあれを好意的に評価した。
私はそういう党派性に欺瞞と危うさを感じる。
 
児童ブンガクは、がんらい「上ったら外すハシゴ」なのだと思っている。
大人になるのに必要だけど、大人になったら(自分の手で)処分しなけりゃならない。
しかし『「日本国憲法知ってますか?法案に賛成すると言うことは、憲法違反をおかしてるってことになるんですよ?」「大義がない海外の戦争に日本の自衛隊を送り出すことを支持なさっているのですか?」「反対以外の情報が欲しいということは賛成したいという意味なんですよ」』などとリプライ飛ばす彼らは「ハシゴ」を決して外そうとしない。外すものだという認識すらないようだ。
だから「善」を価値観の構造として捉える「冷めた」目を持たない。それを世間は独善と呼ぶ。
チャーチルが言ったとされる「20歳までに左翼に傾倒しない者は情熱が足りない。20歳を過ぎて左翼に傾倒している者は知能が足りない。」という警句も似たような意味なんだろうと思う。
ま、だからって、右に振れればいいってもんじゃないけどな。

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