伝統
『佐藤首相は(日米安全保障)条約の継続を協議するためアメリカへ向かいます。
訪米を阻止しようとする若者たち2千人以上が逮捕されました。
昭和45年6月、安保条約は自動延長されました。
その夜、三島は国会議事堂の前をドナルド・キーンさんと通りました。
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ドナルド・キーン「その日、自動車かタクシーで、その前を通りましたら、お巡りさんがたくさん並んでいましたが、学生は一人もいなかった。誰もいない。彼(三島)は笑った。どんな笑いか、わからない。自分の失望を隠す笑いかも知れない。あるいは彼はニヒリストとして、これもゼロだ、学生たちの情熱も夢だと。」』
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三島はいった。
『このまま行ったら、「日本」はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。日本はなくなって、その代りに、無機的な、空っぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目のない、或る経済的大国が極東の一角に残るであろう』
そして翌年、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地の「事件」が起こる。
「死ぬのはいつも他人ばかり」とマルセル・デュシャンはいった。
寺山修司はこれをしばしば引用し、自作映画では登場人物にこう言わせている。
「自分の死を量ってくれるのは、いつだって他人ですよ。それどころか、自分の死を知覚するのだって他人なんです」
しかしはたしてそうか? と私は思う。
動画の中で横尾忠則が三島の自死についてこう語る。
「(三島は)〈これは全部お芝居なんだよ、演劇なんだよ、市ヶ谷のバルコニーも最大の見せ場だ、あれが俺の演劇のハイライトだよ〉といわんばかりに、どっかにあったんじゃないか」
それは間違いなくそうだろう。そういう認識の下に「物語/類型」を三島本人が生きて(演じて)いる。三島は「物語/類型」の中で自分の死を知覚していた。というか、むしろ死から逆算して、そこに至る「物語/類型」を編んだわけだ。
そしてそれは三島に限らず誰だってそうなんだと思う。物理的にモノと化す瞬間まで、少なくとも意識のある限り、私たちは自分の「物語/類型」を生き(演じ)続けているんだろう。死に接近して価値観が一変した、という話を聞くことがあるけれど、それはべつに死の陰に隠されていた「真実」を手にしたわけでも何でもなく、それを期に「価値観が一変した」というまたべつの「物語/類型」を演じ始めたってだけの話だ。
それが証拠に私たちはたいてい、いまわの際には三途の川に呼び寄せられる。少なくとも日本に生まれ、暮らして、ありやなしやの一般的な宗教観を持っていれば。
しかし三途の川なんてもんは、もちろん実在しない。そんな「真実」はどこにも、ない。ただそういう「物語/類型」の『伝統』があるだけだ。
三島はこの『伝統』を生きる(演じる)「物語/類型」を「大義」と呼んだわけだ。
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