「かさじぞう」の続き。
私が地蔵を質に入れる。
これ、明らかに窃盗なんで、私は逮捕される。それはいい。ハナからわかっててやったことなのだから。
けれどもし裁判で「死刑」が言い渡されたりしたら、私は抗うだろう。犯した罪に対して罰が不当に重すぎるからだ。
そんな私をたとえば寄り添う系の自称リベラルが擁護する。「窃盗は薬を買うため」「子を思う親の気持ち」などと私の動機が「純粋」であることを勝手に強調する。挙げ句に「不当逮捕」「死刑廃止」のプラカードを掲げてなぜか官邸前に集合、被告人が劇作家のハシクレであるらしいと聞けば「表現の自由」を言い出すかもしれない。
擁護者たちは私に言うだろう。「正義のために共に闘いましょう!」
彼らは私がカンドーして涙の一つも流し、感謝の言葉を述べることを想定したかもしれないが、私はむしろそいつらを殴りつけるだろう。
いやまあ、殴りつけると再逮捕されちゃうので自重するとして、少なくとも仲間ヅラして私の肩に回してきた手を払いのける。だいたい私は「正義」のために主張してんじゃない。自分の命が惜しくてやっている。文字通り命がけなのだ。
そして今、論点は、罪と罰のバランス、この一点だ。
そんなことすら理解できず、物事をザツな善悪の二元論でしか捉えられない単細胞を「仲間」に持った覚えはないのだ。
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