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2015年5月24日 (日)

寿命

http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG19H12_Z10C15A5AM1000/ 

アベノミクスが少なくとも一定の効果を上げていることは、このように「現実」が証明している。

私は「金融政策」というものを、水泳の国際大会にたとえて考えた。他国の選手がハイテク水着を着用してるのに、「日本たるものフンドシ!」じゃ勝ち目はなく、そこはこっちもハイテク水着に着替え、それではじめて「泳ぎ」の勝負になる。  

しかしこんな景気回復は単なる「見かけ」「幻」なんだ、という紫婆をはじめとする反リフレ派の主張がある。仮にこれを鵜呑みにするとして、じゃあ、「本質的」「抜本的」な経済再構築のため、こうした「幻」を退ける、という選択がはたしてありうるか?  

最近、私が思うのが、「寿命」ということなのだった。 それはつまり、こういうこと。 たとえば私が足を悪くして入院している。まだ完治してはいないが、そこそこ歩けるようになった。今、選択肢は二つ。  

(1)「見切り発車」で退院する。

(2)完治するまで入院を続ける。

(1)は、外を歩くことで足腰が鍛えられ、また外の景色を見ることで精神的にも、より健康になることが期待できる。繁華街できれいなお姉ちゃんとイチャイチャできるかもしれない。 しかし一方で、治りかけの足をかえって悪くするリスクだってあるわけだ。  

そのリスクを踏まえた上で、なお私は(1)を選択するだろう。その動機となるのが「寿命」なんだ、と思うわけ。 もしも私にドラキュラみたいな永遠の命が保証されているのなら、(2)の選択もないじゃない。ゆっくり、慎重にやればいい。 けれど実際には、人生の時間は限られてるのだ。いつまで生きるかわからないけれど、必ず終わりが来る。そのことを私たちは誰でも知っている。

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