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2015年5月 9日 (土)

今秋上演する芝居は、バブル崩壊直後(だけじゃないが)の時代設定。なので、その頃のことを、いつもつらつら考えている。
今、若者は「先が見えない」と不満をいうが、バブルの頃は逆に「先が見える」と嘆いたもんだ。いい気なもんだ、と思うだろうし、確かにいい気なもんだったが、果たしてそれだけか?
売り手市場で就職には困らなかった。「就活」なんてものも、私はほとんどしてない。けど、入社後は毎日残業で、会社を出るのはたいてい22時過ぎ。ああ、俺はこれをこの先何十年と続け、それで首都圏に家の一つも持てないのか、と思ったもんだ。土地の値段が上がりすぎて、サラリーマンじゃとても無理、って感じだった。(で、「総量規制」が行われ、バブル崩壊のきっかけとなったわけ。厳密にいうと、私の入社する前年にこれが行われた。)
そういうふうに「先が見え」ていたのだ。
フリーターがもてはやされた時代だった。「フリーター」なんて言葉は、まだなかったか。フリーアルバイターといった気がする。 彼らには、夢があった。彼らが必ずしも夢を持っていた、というわけじゃなくて、夢のある生き方に見えたのだ。それは「一発逆転」の可能性があるということ。
そういう、根拠なき「含み益」を、通俗的な言い方で「夢」と呼んだのだ。

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