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2015年5月

2015年5月30日 (土)

「見に来ていただいたお客様」問題

終演後はお礼コメントで「見に来ていただいたお客様」問題が発生します。
「〈いただいた〉主体は誰なのか? それをいうなら〈くださった〉だろ」ってケチをつけたくなりますが、ただでさえメンドクサイ人と思われているので、見て見ぬふりをします。

情宣

情宣はじめました。
「情宣」て言葉をはじめて聞いたのは、1980年代の終わり頃、学生演劇の世界に足を踏み入れたとき。
『《「情報宣伝」の略》労働組合・政党などが行う、情報収集と内外への宣伝。「―活動」』と辞書にはある。私のいた劇団(演劇サークル)では、スタッフの役職としてチラシにも掲載した。そういう「伝統」があった。

そういえば、チラシのことをフライヤーという風潮が一時あったけど、しゃらくせえ、チラシはチラシだ、と私は譲らなかった。

で、「チケット発売中」問題。
実は私、この「発売中」がイヤなんです。だって「発売」というのは「売り始める」ことなんだから、それが「中」ってなんだよ? それをいうなら「販売中」だろ。
と思うのだけれど、「販売中」より「発売中」の方が、どうも目に馴染みがある。そんなわけで、ウェブサイト上の表記に、あえて後者を採用したこともあるのだった。私は世間に負けたのだ。

『風待ち』チケットは10月4日発売!

算段

http://news.ameba.jp/20150526-863/

この記事の真偽はひとまず括弧に入れる。
その上で、この「母娘」の心性を推察するに、いわゆる従軍慰安婦問題と通底する、と私は思う。
つまり、事実関係を捨象して、世間に流通する「弱者」のイメージを活用するわけだ。そうすりゃ、頭の悪い自称善人が寄り添ってくれる、という算段。

北海道新聞

http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/opinion/editorial/2-0026479.html

『だが戦後日本が戦争に巻き込まれず、曲がりなりにも平和を維持してきたのは、日米同盟の抑止力があったからというより、憲法の歯止めがあったからではないか。』

こんな認識で記者として入社できてしまい、あまつさえ社説まで担当してしまう。北海道にはとんだバカ新聞社があったものだ。寝言は紙に書くだけ資源の無駄だ。石狩浜海水浴場の波打ち際にでも書いておけ。

インプロビゼーション

あえて演技の段取りをギリギリまで決めないでおくことがある。
それは表現に、ある種の「ゆらぎ」を実現するため、インプロビゼーションの要素を取り入れようということだ。そういう演出意図がある。
決して演者に対する「優しさ」だとか、「自由意思の尊重」だとか、そんなヌルイ動機でやるんじゃないのだ。

鬱陶しい

聞いてもいない料理の説明をメニューを手に長々とされ、鬱陶しいったらないのだが、それが隣のテーブルで始まると、かように店員のケツがちょうど目の高さにくるので二重に鬱陶しい。
しかし某サイトの「口コミ」の評価は上々で、なんでも誕生日の客にサプライズで「生演奏」とかのサービスもあるんだとか。隣席を巻き込んでのお祝いムード? いい加減にしてくれよ。
でもまあ、それが店の方針なんだし、そういうのが好きな客だっているわけで、私が行かなきゃいいだけだ。ええ、ええ、もう二度と行きませんとも。

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拉致問題

日本共産党は「共産党こそ、北朝鮮による日本人拉致問題を真っ先に取り上げ、事実を政府に認めさせた」と宣伝する。
その根拠は、1988年に予算委員会で、橋本敦参院議員が、78年に起きた日本人行方不明事件について質問し、梶山静六国家公安委員長から「北朝鮮による拉致の疑いが十分濃厚」との答弁を引き出したこと。
また、1999年の衆院本会議の代表質問で、不破哲三氏が「(拉致問題の解決に向け)北朝鮮との正式の対話と交渉のルートを確立する努力を」と提案したこと。

『しかし実態はかなり違います。なぜなら、当時、北朝鮮の拉致問題について新たに質問することを、党議員団に指導部が禁じていたのです。理由は「不破さんの貴重な到達点を後退させることがあってはならないから」との説明でした。』

「交渉ルートを確立せよ」などという、言うだけならガキでもできる「提案」以上に、「手柄」を立てて不破氏のメンツを潰してくれるな、というわけだ。
なんで日本国民は、こういう者を税金で食わせなきゃなんないの?

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反面教師

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2015052902000138.html

まあ、いいじゃないの。偏った思想に基づき、幼稚な主義主張を繰り返して職務命令に背き、それでも司法によって助けられ、慰謝料までもらえる。クズでも生きていけるステキな国ってことですよ。
これでまた「独裁政権」だとか「ファシズム」だとか意味不明なことをいいだせば、生徒にとって、反面教師くらいにはなるだろう。

思考の怠慢

科学的根拠の怪しい「知識」を掻き集め、そいつを精査することもなく、通俗的な「道徳」を振りかざし、善人ヅラしてデマ拡散に荷担する。
  震災後、何度となく繰り返され、そのたびにその独善性が批判されてもきたはずだが、おそらく、なんで批判されてるのかが根本的にわかっていない。だからこの期に及んでこうした過ちを平気で繰り返す。
   
ポイントは「通俗的な道徳」、これなのだ。
なにやらオカルトめいた、自己啓発本的術語を駆使して、論理的思考を退ける。なにしろ、「思いやり」だとか「優しさ」だとか「子を思う親の気持ち」だとか、そういう〈動機の純粋性〉に基づくおのが言動が誰かを傷つけたり、誰かに批判されたりするはずがない、と高をくくっている。

この恐るべき自己相対化能力の欠如!
こうした底の浅い「善意」にあぐらをかいた態度を私は「思考の怠慢」だといっているのだ。
 
すでにさんざん「種明かし」のされた統計のマジックも、その場じゃ「なるほど」と頷いて見せるけれども、3秒後にはもう忘れている。バカなら黙ってりゃいいものを、決して学ばぬこの手の者ほど、しかし学んだふうな顔をしたがるのだから、ほんとうにタチが悪い。

東芝不正経理問題

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150529-00000094-san-bus_all

いろいろわからない。まず、何がわからないって「不適切」の内容。「故意」だったのか単なる「ミス」だったのか。 
「ミス」にしちゃあ話が大きくなりすぎだし、仮に「故意」だとして、担当者レベルでの数字の操作なんて考えにくい。良くも悪くも彼らは組織の「歯車」にすぎず、んなことする動機がないからだ。「経理」ったって、そこらの商店じゃない。小銭をちょろまかして自分の懐にいれるとか、そんなセコイ話にはならない。この規模の会社で原価計算の担当者は、現金なんか一円も扱わないからね。
だとすりゃ経営レベルでの「不正」だけれど、うーん、どうなんだろう?
 
私の見立ては単純に、こうだった。
「工事進行基準」というのは何年にもわたる長い案件だから、プロジェクト開始当時の経理担当者が、今も担当であり続ける方が、まれ。たいてい途中で異動しちゃってる。業務を引き継いだ何代目かの担当者が、総原価の根拠を洗い直したら、間違いが「発見」された、と。
 
わかる? 間違ってたから直したってこと。やたらに「歴史修正主義」などといって、その言葉じたいの意味からもかけ離れた悪意のレッテル貼りをしたがる単細胞には理解できないかもしれないが、しなくていいんで、私の視界に現れないで。鬱陶しいので。どうぞブロックでも何でもしてそっちの世界で勝手に生きててください。
  
で、それはともかくこのニュース、しかしそう単純でウブな話でもないみたい。
どこまでホントかわからんけれど、経営陣の内紛・権力闘争をめぐって、こんな記事も出てる。

http://biz-journal.jp/2015/05/post_9981.html

2015年5月25日 (月)

格差

〈日本国憲法: 第二十五条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。〉

この条件を満たすボーダーラインを便宜的に「25」としようか。25条だし。 で、私が今、30くらいの生活をしてるとする。世の中の平均が50。その差20。

景気がよくなり、私の生活も40に上がる。けど、世の中はもっとうんとよくなって、平均が70になれば、その差は30。 格差拡大だよね? 何か、問題? ほんとうによくわからないんだけど、それは私がバカだから? 向上心がなさ過ぎる?

逆に、不況で世間が30、私が20。その差10で格差縮小。 それが望みなの? 私、〈健康で文化的な最低限度の生活を営〉めてないんですけど。

舞台は役者のもの

俗に舞台は役者のものと言ったりする。
私もそう思っているが、私のいう意味は、一般のそれとは多少異なっているかもしれない。
 
演技に関し、〈自意識の「カメラ」〉とういうことを言ってる人がいて、いわく、あたかも演技じゃないかのように演技ができる俳優は、この「カメラ」が客席の位置まで離れてて、舞台全体を俯瞰できるんではないか、だから〈演じられる私〉より〈演じる私〉の自意識がはみ出ていたとき、すぐに気づいて自らそいつを引っ込めることができるのだ、と。
8割くらい正しい、と思う。

けど、仮に「カメラ」を自在に操る技術があったとして、それを覗き見るのは、やはり演者自身なのだ。演出家は〈演じられる私〉のあるべき姿を示すに過ぎない。〈演じる私〉を即座に教育することなんかできっこない。彼/彼女に対象(=自身)を「見る目」が備わってなかったら、結局のところ、アウトなのだ。
そういう意味で、舞台は役者のものなのだ。
べつにライブの一回性だとか、ましてチケットノルマを課されている(ウチはそんな制度を採ってません)からだとか、そんな話じゃないんだよ。

twinklestars

https://youtu.be/e3DiAnNThLI 

 

BABYMETALの踊る二人がメンバーに入ってる。フツーに考えたらBABYMATALよりこっちの方がわかりやすいし、いかにも「女の子」らしくて売れそうに思うけど、実際には、そうならんのだよねえ。
BABYMATALの大当たりの要因も、事後的にはそれらしい分析ができるけれど、最初はみんな、「無駄にクオリティの高い悪ふざけだなー」くらいに思ってたわけだ。
やはり産業政策的なものってうまくいかないんだなあ。

寿命

https://youtu.be/-0NLMjcGgxw 

「どうせ私をだますなら、死ぬまでだまして欲しかった」と西田佐知子は歌ったが、たとえば「財産目当て」の結婚だって、それがそうと判明するのは当人が死んだ後、しかも第三者の目によってであって、当人には紛れもない「愛」だったのかもしれない。つまり「財産目当て」という「悪行」は、他人の「物語」に過ぎない。

ハイエクはこう言っている。『われわれにとって心は、いつまでも直接の経験を通してしか知ることができない心自体の領域であり、充分には説明することができず、他に「還元」することができない領域であり続けるにちがいないということである。』  

「よりよい社会の実現」的な標語を口にするのは簡単で、まず問題は、その「よい」が誰にとっての「よい」なのか。こいつを明らかにする気もなく、社会通念に寄りかかって、漠然とした「よい」を気楽に振りかざす者を私は信じないし、むしろ心底軽蔑する。  

話がとっちらかってしまった。 私は何が言いたいのかというと、経済学に人の「寿命」をどう位置づけるのかってことなのだった。経済活動における人間の非合理性は行動経済学によって心理学的な観点から指摘されたが、非合理の要因として、私は「寿命」ってもんを考える。 この視点て、何も文学や哲学の専売特許じゃなく、経済を考える上でも何かとても重要な気がするんだけれど、考えが上手く纏まらないんで、今はまだ、よしとく。

2015年5月24日 (日)

君子豹変

くんし-ひょうへん【君子豹変】|〈―スル〉

君子が過ちを改めて善に移るのは、ひょうの皮のまだら模様のように非常にはっきりしているということ。転じて、現在では主張や態度が急にがらりと変わることをいう。また、その無節操ぶりを非難する語。▽「君子」は教養や徳の高い立派な人。人格者。「豹変」は季節によってひょうのまだら模様が美しくなることから、主張や態度などが急に変わること。

***

もともと「いい意味」でしか使わなかったはず。けど、たとえば新入社員が遅刻してきたとき「重役出勤ですか、羨ましいですなー」というように、「皮肉」で「君子」と言ったわけだ。それがいつの間にか、毒気が漂白されて、フツーに非難する意味で使われるようになったんだね。

草食系

http://blogos.com/article/96412/ 

『私が大学生の時は塾で5000円以上の時給をもらっていたし、私の知り合い等は山梨在住で「有名大学生が回りにいないから」という理由で家庭教師ですら時給5000円もらっていた。』

というこのライターはいったい何歳なんだろう? 私が大学生のとき、札幌でやってた塾のバイトは時給800円でしたよ。大手有名進学塾でも、その倍くらいだったんじゃないか。

それでも私は「貧しい」学生ではなかったと思う。甘やかされて育ったので、親から仕送りも受けてたし。 そんな私だけれど「草食系」の気持ちは、わかる気がする。 「経済」の問題なんかじゃない。その年頃の男子(女子も?)に支配的な、「ねるとん」や「トレンディドラマ」に象徴されるステレオタイプな恋愛至上主義に、うんざりしていたからだよ。

ちょっと上の世代から「3S政策」というのを聞いたことがあった。「3S」というのは、Study/Sports/Sex。それさえ与えておけば学生は満足する、というナメたオトナの考えにも腹が立ったし、まんまと乗せられる学生にもムカついていた。そういう価値観を無効化してやりたい、という思いがあった気がする。 「若さ」ってそういうもんなんじゃないの?

とかいいつつ、誘いがあれば、合コンでも何でもホイホイ出かけて行ったんだけど。

リトマス試験紙

http://www.jiji.com/jc/zc?k=201505/2015051800752

『検討委の星北斗座長(県医師会常任理事)は記者会見で、原発事故の影響は考えにくいとの見解を維持。「多いとか少ないとか議論する段階ではない」と述べ、2巡目が終わった後に改めて評価する考えを示した。』

「I am not ABE」的な、まず結論ありきの独善的な思考パターンの持ち主は、この期に及んで統計の意味すら理解せず、またぞろチェルノブイリなんかを持ち出して目の前の「現実」を歪め、愚かな陰謀論をいうのだろう。これに関するニュースはほとんど阿呆のリトマス試験紙と化している。
もう、説明しないよ。阿呆には付き合いきれない。ちったあ自分で学ぶ努力をすることだ。

寿命

http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG19H12_Z10C15A5AM1000/ 

アベノミクスが少なくとも一定の効果を上げていることは、このように「現実」が証明している。

私は「金融政策」というものを、水泳の国際大会にたとえて考えた。他国の選手がハイテク水着を着用してるのに、「日本たるものフンドシ!」じゃ勝ち目はなく、そこはこっちもハイテク水着に着替え、それではじめて「泳ぎ」の勝負になる。  

しかしこんな景気回復は単なる「見かけ」「幻」なんだ、という紫婆をはじめとする反リフレ派の主張がある。仮にこれを鵜呑みにするとして、じゃあ、「本質的」「抜本的」な経済再構築のため、こうした「幻」を退ける、という選択がはたしてありうるか?  

最近、私が思うのが、「寿命」ということなのだった。 それはつまり、こういうこと。 たとえば私が足を悪くして入院している。まだ完治してはいないが、そこそこ歩けるようになった。今、選択肢は二つ。  

(1)「見切り発車」で退院する。

(2)完治するまで入院を続ける。

(1)は、外を歩くことで足腰が鍛えられ、また外の景色を見ることで精神的にも、より健康になることが期待できる。繁華街できれいなお姉ちゃんとイチャイチャできるかもしれない。 しかし一方で、治りかけの足をかえって悪くするリスクだってあるわけだ。  

そのリスクを踏まえた上で、なお私は(1)を選択するだろう。その動機となるのが「寿命」なんだ、と思うわけ。 もしも私にドラキュラみたいな永遠の命が保証されているのなら、(2)の選択もないじゃない。ゆっくり、慎重にやればいい。 けれど実際には、人生の時間は限られてるのだ。いつまで生きるかわからないけれど、必ず終わりが来る。そのことを私たちは誰でも知っている。

偏見

https://youtu.be/IqX7WX6jFdw 

黒人に対する「偏見」というのは私にも確かにあって、全員バスケとダンスが上手く、ジャズが演奏できると思ってる。

歴史家

http://mainichi.jp/select/news/20150520k0000m030109000c.html 

 

『◇「日本の歴史家を支持する声明」の要旨

 

・日本の歴史家が正確で公正な歴史を求めることに賛意を表明 ・「慰安婦」問題は日本、韓国、中国の民族主義的な暴言でゆがめられてきた

 

・「慰安婦」の身に起こったことを否定したり、過小評価したりすることはできない ・「慰安婦」になった経緯や正確な人数は確定されなくても、大勢の女性が意思に反して拘束され、恐ろしい暴力にさらされたことに変わりはない

 

・過去の不正義を認めることは難しいが、そうすることで民主主義は強化される

 

・戦後70年の今年は、日本政府にとって過去の植民地支配と侵略の問題に立ち向かい、指導力を見せる絶好の機会だ』

 

この期に及んでこれを「歴史家」がいってるの? 「ゆとり」以下じゃん。学者としての矜恃ってないのかね。 「特定の歴史について率直な議論を規制する日本の動き」って、そんなもんがどこにあるのさ? 「安倍政権の歴史認識に対する懸念が高まって」いるというのなら、その「懸念」される部分はどこで、どう間違っていて「正解」はどうなのか、具体的に示してみろよ。

ヒューイ

http://www.afpbb.com/articles/-/3048744 

『米軍のヘリ「UH-1Y ヒューイ(Huey)」は大地震の被災地に救援物資を輸送していた12日に行方がわからなくなり、ヘリコプター複数機と兵士数百人を動員した捜索の結果、15日になって残骸が上空から発見されていた。』 この「UH-1」、私はこの手のことに明るくないので、このニュースではじめて知ったのだけど、Wikipediaから引用すると以下の通り。 『1959年よりアメリカ陸軍で採用され、ベトナム戦争などで活躍した。現在は後継機種のシコルスキーUH-60 ブラックホークに置き換えがすすんでいるが、日本の陸上自衛隊を含めて多くの国々では現役である。』 つまり今も日本の空を飛んでるってことでしょ? 資料を見てみると、このヒューイの事故率って、オスプレイの倍近くじゃん。

なぜ、日本のメディアはオスプレイの事故はあれだけ大騒ぎして、こっちはまるでへっちゃらなの?

こういうのを、山本七平は『空気の研究』で「臨在感的把握の絶対化」と説明した。 われわれ一般大衆が、こうした「錯覚=思い込み」に陥るのはある程度仕方がないんだと思う。そもそも限られた情報で、常に即座に合理的な判断なんかできっこない。 けれど、そこにつけ込んで、メディアがこれをイデオロギー闘争に利用していい話じゃない。

ガムテ至上主義

すべてのものはガムテで直る、というガムテ至上主義の敗北。脚の壊れた家具調こたつが、とうとう粗大ゴミに。

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天安門事件

https://youtu.be/xzqVAU4Wm8E 

私は1968年生まれ。大学生の時に、天安門事件が起こった。 若い人はピンとこないかもしれないが、むしろ問題なのは、私と同年代や上の人間が、俗にいう「なんでも官邸団」的バカ騒ぎに加わることにより、こうした紛れもない「弾圧」やホンモノの「言論封殺」の深刻さを、若い世代の目に見えにくくしていることだ。

スマイル

マクドナルドが日本に上陸したのって1971年(昭和46年)なんだそうです。小学生の頃、繁華街に一店できて、「なんかキューリの腐ったみたいのが入ってた!」と、ピクルスを食ったことのない友達(私も食ったことなかった)から報告を受けました。 「〈スマイル0円〉て何? タダで笑ってくれるん?」と話題になって、「んなわけ、あるか。〈水〉のことだ」と説明され、なあんだ、と納得したのだけど、やっぱ「微笑み」なのだった。 で、その後しばらくは、ヤングが集うナウイ場所だったのだよ。

 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150521-00000526-san-bus_all

局面打開

『全面的な対立の中で、50周年を迎えてはいけない。局面打開へ向けた希望をつないでほしい。』 「局面打開」するのは誰なのか? まるで原爆死没者慰霊碑の「過ちは 繰返しませぬから」みたいな言い方だ。 毎日新聞は『「韓国など放っておけばいい」という雰囲気』が気に入らないようだが、ヒステリーは放っておくに限る。そっとしておく、という関わり方だってあるはずだ。そうしていつか、遠い将来、相手が近代国家として成熟する日がやってくる(かも)と、淡い「希望」を持ち続ければいい。

 http://mainichi.jp/opinion/news/20150522k0000m070156000c.html

尊いわ

https://youtu.be/K8IdfNxS6To 

子供の頃、『愛は尊いわ』の「尊いわ」って、〈蝋燭岩〉とか〈夫婦岩〉みたいな〈とうと岩〉ってのがあるんだと思ってました。

篠原常一郎著/筆坂秀世監修『いますぐ読みたい 日本共産党の謎』

篠原常一郎著/筆坂秀世監修『いますぐ読みたい 日本共産党の謎』という軽めの本を読んでたら、〈フワシイスト〉という造語が出てきた。 『ファシストと「不破」「志位」をもじった冗談ですが、ベテラン秘書の間ではこう言って、理論ばかりで実行力に乏しい党員を茶化してました。』とのこと。 クッソー、うまいこと言われた! 悔しいので、私もひとつ、考えた。 空想的平和主義者(俗にいう「お花畑」)をファンシーをもじって〈フワンシイ〉と呼ぶのは、どうか。

不誠実

「謝罪」を普遍的な「美徳」と思いたがる人は、そもそも何が「罪」であるかを考える気がないのだろう。ハリボテの美徳。さまざまな文脈の交差する「事実」を等閑視し、「とりあえず謝っとけ」という姑息な対応。相手との関係性に対してこれ以上、無礼で不誠実な仕打ちがあるか。

駄々っ子

自意識過剰の可愛げないガキで、よく母に「屁理屈言うな!」と叱られたもんだ。ある日、調子こいて母を侮辱する口をきいたところ、父が現れ、私は「ヤバイ」と思い、二階の子供部屋に逃げ込んだ。ドアに鍵を掛けると、階段を上ってくる足音がする。やがてドアがガタガタ揺れだし、鍵が弾け飛び、部屋に父が入ってきた。 そうして私はボコボコにされたのだが、もしもあのとき、痛い目に遭っていなければ、今頃、官邸前か沖縄あたりで「駄々っ子」を続けていたかも知れない。

女房と畳

マクドナルドとコカコーラが資本主義の象徴みたいな感じ、あったんだよね。 凋落の原因は、昨今の不祥事の影響は間違いないし、他にもいろいろ分析可能だとは思うけれど、端的に言って、大衆が「飽きた」ってのが大きいんじゃないか? みんな新しいものが好き。「女房と畳」の法則。

不当逮捕

「不当逮捕」「不正」「弾圧」「人権侵害」…。 いったい誰のどんな行為に対し、何を根拠にしてそう判断したのか。それを具体的に言えっていうんです。

超訳

ニーチェなんか〈めんどくさい人〉の代表選手みたいなもん。 その思想=言葉を「超訳」とかいって、相田みつを的人生訓に回収しちゃうのって、どうなのか? イライラする。

中腰

アンビバレンツを丸抱えにし、ふらつきながらも二本足で立っている。そういう状態を自覚的に選択することを私は肯定的に「中腰」と表現したのだが、ぜんぜん伝わってる気がしない。

体験

たとえば月旅行に行った感想が「すばらしかった。このすばらしさは、月に行った者でなければわからない」であるなら、何も体験しなかったに等しい。

2015年5月14日 (木)

だめだこりゃ

http://www.sankei.com/politics/news/150512/plt1505120032-n1.html

もうね、「だめだこりゃ」っていう、いかりや長介の心境。
日本の首相が米国で、韓国に対して言った何かに反発するならまだしも、「言及がなかった」ことにケチつけるとか、およそ近代国家のすることじゃない。
韓国は過度な学歴社会だと聞く。日本にも、学歴だけは無駄に立派なバカがいて、国会で盛んに人を指さしている。この点、国境はないのだね。

平和を願う

「平和を願う」という行為そのものを批判しているんじゃなく、「動機の純粋性」の強調によって己の思考停止を正当化する、そればかりか具体的施策を妨げる、その底なしの頭の悪さを批判するのだ。

権威主義

「月に兎はいます。月に住んでた私が言うのだから間違いない」というのなら、月で体験した何をもって「兎がいる」と結論するに至ったのか、その情報を具体的に示さなきゃ話にならない。「月に住んでた」という体験の特殊性は「月に兎はいる」の根拠にならない。「数少ないSTAP細胞の研究者である私が言うのだから間違いない、STAP細胞はありまーす!」が通らぬのと同じことだ。
これを理解できないオツムの持ち主が、簡単に権威主義に陥るのだよ。

金融政策

たとえば水泳の国際大会。
  種目はもちろん同一で、しかしぎりぎりルールの範囲内で、他国の選手がハイテク素材の水着を着用してた場合、「他国は他国、日本男児たるものフンドシだ!」なんて精神論を言ってたんじゃあ、勝てっこない。水着の優劣の差異をなくしてはじめて、選手の能力で勝負ができる。
  金融政策って、そういうもんなんじゃないかと思うんだけど。

https://youtu.be/R8q1sIzY1SI

2015年5月11日 (月)

主体

作家は書くように読み、読むように書けというけれど、俳優も一緒。演じるように見、見るように演じるんですよ。いわば主体の確認。「確認」とは相対化。

謙虚

「生態系を守れ」的な言説を私は必ずしも否定しないけれども、それをいうとき、「人間」の視点は必ず生態系の外側に設定されている。そうしなければ全体を俯瞰することができないからで、ならばここでいう「自然」は、あくまで〈人間にとっての〉という注釈付きの、限定された「自然」ということになる。
この自覚。自覚なき「良心」は欺瞞でしかない。欺瞞に基づく思考のフレームで、謙虚なふりをすればするほど(「人間てなんて罪深い生き物なの!」というような)、むしろ傲慢さが際立つ。俗に言う「自虐史観」てやつと構造は一緒だ。

違和感

「違和感を感じる」という言い方に違和を感じる。あるいは違和感を覚える。

2015年5月 9日 (土)

北海道新聞

http://www.ytv.co.jp/press/society/TI20172786.html 

「女性はセクハラで自殺した可能性が極めて高いとしている。」

これが事実なら、こんな新聞社に「女性の人権」なんて言う資格はないね。俗に言う「慰安婦問題」に対する、史実を無視した道新のスタンスは、こうした社員の心性を日本人男性一般に敷衍したものなんじゃないか?  むろんどんな会社にも、おかしな社員はいる。しかしそいつが何か「やらかした」とき、トップの「対応のまずさ」を鬼の首を取ったように批判して飯を食っているのだから、その批判の矛先を自分自身に向けてみろ。

甘ったれ

http://www.yomiuri.co.jp/kyu…/news/20150509-OYS1T50004.html

〈もともと何もない普天間の土地に基地をつくった。→基地の周りに人が集まり、町ができた。→結果、町の真ん中に基地がある状態に。→住民にとって危険。→基地を辺野古に移転しましょう。〉
基本的な文脈はこういうことだろう。「最低でも県外」がないことは、鳩山政権によって実証された。あの鳩山でさえ、地政学的な意味を学んだ(?)というのだ。実際、その重要性は、尖閣周辺での中国の行動が裏書きしている。
動機がどうであれ、辺野古移転の妨害は、普天間の「危険」を継続することにしかならない。さんざん「普天間の危険」を騒ぎ、その除去の必要性を訴えていたはずだが、あれは何だったのか? 「自分の正義」のためには「他人の命」なんかどうでもいいってこと? だとしたらとんだ利己主義だ。
それとも、移転は「粛々」と行われるであろうことを大前提に、若き日の「革命ごっこ」をもう一度、ということだろうか?
甘ったれるのもいい加減にしてもらいたい。

金銭感覚

3600億円のオスプレイには目くじら立てて、その分社会保障費に回せと言いながら、原発停止による燃料費増加、年3.6兆円は気にも留めぬという金銭感覚。

今秋上演する芝居は、バブル崩壊直後(だけじゃないが)の時代設定。なので、その頃のことを、いつもつらつら考えている。
今、若者は「先が見えない」と不満をいうが、バブルの頃は逆に「先が見える」と嘆いたもんだ。いい気なもんだ、と思うだろうし、確かにいい気なもんだったが、果たしてそれだけか?
売り手市場で就職には困らなかった。「就活」なんてものも、私はほとんどしてない。けど、入社後は毎日残業で、会社を出るのはたいてい22時過ぎ。ああ、俺はこれをこの先何十年と続け、それで首都圏に家の一つも持てないのか、と思ったもんだ。土地の値段が上がりすぎて、サラリーマンじゃとても無理、って感じだった。(で、「総量規制」が行われ、バブル崩壊のきっかけとなったわけ。厳密にいうと、私の入社する前年にこれが行われた。)
そういうふうに「先が見え」ていたのだ。
フリーターがもてはやされた時代だった。「フリーター」なんて言葉は、まだなかったか。フリーアルバイターといった気がする。 彼らには、夢があった。彼らが必ずしも夢を持っていた、というわけじゃなくて、夢のある生き方に見えたのだ。それは「一発逆転」の可能性があるということ。
そういう、根拠なき「含み益」を、通俗的な言い方で「夢」と呼んだのだ。

ヒューマニズム

ヒューマニズムを全否定するつもりはないが、それが「優しさ」の贈与のつもりなら、ときに贈与は暴力であると知れ。

総括

たとえばものすごく記憶力のいい赤ん坊を想定する。
濡れたおしめの不快さと、泣いたことを憶えている。けれど赤ん坊は言葉を知らぬから、厳密には「不快」という概念すらまだなく、自分がなんで泣いてるんだかも認識できない。時が経ち、言葉を獲得してはじめて、「濡れたおしめ」→「不快」→「泣く」という一連のストーリーを当時の状況に与えることができる。
これが赤ん坊でなく、20歳の若者であったら、どうか?
すでに言葉を知っている。物心はついている。けれど、自分を取り巻く状況を、やはり認識しきれているわけじゃない。確固とした当時の記憶がまずあって、それが時を経て薄れていくわけじゃなく(むろん、そういうことの方が圧倒的に多いわけだけれど)、むしろ後から言葉を与えられることで、やっと過去の「体験」ができあがる。
つまりこれが「総括」するってことなんじゃないか。

2015年5月 7日 (木)

てんのかみさま

「どちらにしようかなてんのかみさまのいうとおり」っていうのは、どうやらほぼ全国共通らしく、しかしここから先は地域によってさまざま。私の地元じゃ「あっぷっぷのぷのぷのしょっぱいな」と続き、最後「北海道は寒いけどハワイは暑いな」と結ぶ。
北海道とハワイが対なのだ。ロシアじゃなく。
家が貧乏なので大学は国立しか受験してない。さして成績がいいわけでもなく、二次試験の科目で絞り込むと、意外と選択肢は少ない。ひとり暮らしもしてみたいし、ってんで北大に進むつもりだといったとき、親は「バカを言うな! 住めるわけがない」と反対した。しかし住んでる人がいる、と反論したら、北海道の人っていうのは寒さに対応するため、生まれながらにして皮膚のつくりやなんかが違うのだ、という。

んなわけあるか、と入学した年の5月の連休、札幌に雪が降った。
「違う」かも、とそのとき思ったのだった。

2015年5月 6日 (水)

総括

たとえばものすごく記憶力のいい赤ん坊を想定する。
濡れたおしめの不快さと、泣いたことを憶えている。けれど赤ん坊は言葉を知らぬから、厳密には「不快」という概念すらまだなく、自分がなんで泣いてるんだかも認識できない。時が経ち、言葉を獲得してはじめて、「濡れたおしめ」→「不快」→「泣く」という一連のストーリーを当時の状況に与えることができる。
これが赤ん坊でなく、20歳の若者であったら、どうか?
すでに言葉を知っている。物心はついている。けれど、自分を取り巻く状況を、やはり認識しきれているわけじゃない。確固とした当時の記憶がまずあって、それが時を経て薄れていくわけじゃなく(むろん、そういうことの方が圧倒的に多いわけだけれど)、むしろ後から言葉を与えられることで、やっと過去の「体験」ができあがる。
つまりこれが「総括」するってことなんじゃないか。

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