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2015年4月

2015年4月24日 (金)

経験的に

論理の脆弱さを通俗的な道徳で補強して自説を正当化するやつは信用できない。経験的に。

固定観念

ある種の固定観念が覆され、その結果が自己肯定につながるような都合のいい言説には、こんなところに「真実」があったとばかりに、コロっと騙されてしまうよね。

冷血漢

戦後70年を見れば「平和憲法」の有効性は自明、などという人は、自分が心優しき「善人」どころか、北朝鮮に拉致された同胞すら無視して平気な冷血漢だと自覚してください。

2015年4月21日 (火)

井の中の蛙

〈井の中の蛙大海を知らず〉というけれど、大海の魚は井戸の中のことは何も知らない。
「体験」てそういうもんですよ。あなたが知ってて私が知らないことがあるように、私が知っててあなたが知らないことがある。
とくにモノカキなんかは、そのことに気づけるかどうかの方が、何を体験したかより遙かに大きな問題なわけ。

進化

http://www.tbs.co.jp/kodomotel/plant/0011.html

まあ、そうなんだけど、子供の頃、こういう解答が、なんだかはぐらかされたみたいで不満でした。
「キリンはなぜ首が長いのか?/高いところの葉っぱが食べられるように」みたいな。
理科の授業では、この手の進化の合目的性は「突然変異」と「自然淘汰」によって真らしく説明されたわけだけど、いつも「ホントかよ?」って思ってました。

2015年4月20日 (月)

当たり前

よく「当たり前」を疑うっていうよね? 結構。じゃ〈「当たり前」を疑う〉ことが当たり前に良きことと思い込んでる己もまた疑いなさいよ。

握手会

https://youtu.be/ODnJTCDg9LU

ラゾーナ川崎に見に行ったことがあります。
その場でCDを買ったら握手会に参加できるっていうのだけど、すでに持ってたんです、そのCD。せいぜい千円くらいのもんだし、もう1枚買ったってよかったのだけど、しかし握手したさに同じの買うって、どうなのか? いいオッサンがキモイのではないか? いや、べつにキモイったって、相手はこっちのことを知らないわけだし…、いやいや、そういうことじゃない、この先の人生、キモイ自分を背負って生きていくことになる…などと考えてる間に、握手会、終了しました。

読書感想文原理主義

http://getnews.jp/archives/367166

『言語化とは抽象化の力のことでもある。思考の深度とは、抽象化能力のことだ。』

その通りだろう。

  『成績がよい・悪いは、小中学生のうちはほとんどが「思考の深度」で決まると思う。』

一般に小学生の頃って、男子より女子の方が成績がいい。つまり、男子より女子の方が「思考の深度」が深い=抽象化能力が高い、ってことになる。
  経験的に、これ、事実だと思う。

成績が良い/悪い、だけなら、かけっこが速い/遅い、と同じ、生徒の属性にすぎない。小学校の成績なんて、人生においてべつに問題にもなりゃしない。
けれど、「思考」は言葉でする。「論理」はもとより、「感情」だって言葉でできている。言葉は単に意思伝達のためのツールじゃないのだ。

『言語化能力を磨くには言語化を徹底的に行うしかないと思う。問題を解くだけでも、読書をしてもダメである。書かないとダメ。』

ホント、私もそう思う。
たとえば私たちは助詞のチョイスをいちいち文法を参照しながらしていない。なんとなく、「感覚」で判断している。この「感覚」って、子供の頃にほとんど決まってしまう気がする。後に学校の授業でやる文法は、すでに難なく使っている母語の体系を相対化するに過ぎない。

そんなわけで私は、ほとんど「読書感想文原理主義」みたいになっている。

格調

かく‐ちょう〔‐テウ〕【格調】
  詩歌・文章・演説などの構成や表現から生じる全体の品格。「―の高い文章」(デジタル大辞泉)
*****
逆に「格調の低い文章」っていう?
  「かつて彼は格調の高い文章の書き手だったが、今は格調が低くなった」→「かつて彼は格調の高い文章の書き手だったが、今は凡庸になった」あるいは「彼の文章は、かつての格調高さを失った」とか。こんなところか。

座り小便

いやーしかし驚くな。
男の座り小便。
なんでその「正義」を他人に強要するほど、自信満々なんすかね? なんか一時期流行った「割り箸=悪」みたいだな。掃除する他人のことを思いやる? これまた〈寄り添う〉系の風潮か。
座ってしたきゃ勝手にやってくださいよ。
それこそ「余計なお世話だバカヤロウ」ってなもんだ。

工場夜景

川崎駅の大型ビジョンで「工場夜景」の宣伝。
こういうのって、かつては一部の工場マニアがこっそり愉しむものだったけど、今は一般に流行っているのか、いないのか…。
私も軽度の工場マニアなのだけど、こういう脱色・脱臭された「売り出し方」に、ちょっとだけ違和感を覚えてしまう。「そうじゃない」って気がしてしまう。なんていうのだろう、中上健次や古井由吉の小説にJブンガク(というのも死語だが)ぽい装丁をしてベストセラーを狙うような。ていうより、知る人ぞ知るB級アイドルがメジャー化していくのを見送る寂しさか…。

Photo

体験

〈井の中の蛙大海を知らず〉というけれど、大海の魚は井戸の中のことは何も知らない。
「体験」てそういうもんですよ。あなたが知ってて私が知らないことがあるように、私が知っててあなたが知らないことがある。
とくにモノカキなんかは、そのことに気づけるかどうかの方が、何を体験したかより遙かに大きな問題なわけ。

2015年4月15日 (水)

くださる/いただく

http://www.nhk.or.jp/bunken/summary/kotoba/term/146.html

うん、それはいいの。
「お教えくださり、ありがとうございます/お教えいただき、ありがとうございます」どっちでもいい。状況による。前者は主体が「教える」側にあり、後者は「教わる」側にある。
問題は連体形。

①ご来場くださった皆様/②ご来場いただいた皆様

②をしばしば見かけるが、私はこれ、めっちゃ違和感がある。
だって、「皆様がご来場くださる」ことはあっても、「皆様がご来場いただく」ことはないでしょう?「いただく」って謙譲語なのだから。言うなら「皆様にご来場いただく」。このとき「いただく」主体は「私(たち)=話者」であって、「皆様」ではない。だから②がヘンな気がする。なのにやたら目にする。

2015年4月12日 (日)

敷居が高い

戯曲っていうのは芝居の「製造命令書」ではない。上演台本である以前にまず文学作品としてある。なので劇作家というのは文学者だと思ってます。当たり前だが。

「敷居が高い」が、すでに誤用の方が一般化してることくらい、私だって知っている。チンピラ演劇人にも、その程度の社会性はある。その上で、私は思う。そうした傾向に荷担するのも、劇作家の「自由」なのだとしたら、私がそいつを劇作家として認めないのも、また「自由」だろう。
「演劇は敷居が高い」?
何か、演劇に対して不義理でもしたのかね? 

http://www.bunka.go.jp/publish/bunkachou_geppou/2011_04/series_08/series_08.html

2015年4月 2日 (木)

蒲団

誇る文豪 田山花袋」
上毛カルタの「ほ」。
『蒲団』を読んで、おっさん、しょーもな、と思っていた私もまた、気づけば、おっさんになってしまった。それが人生。

スマホ

台本はいつも、まず40字×40行で書いて、ある程度完成したところで製本用のフォーマットに流し込む。
今、手直ししてるのは、このフォーマットのファイル。103ページある。
いつも製本前に一度、キャスティングされた俳優によるホン読みをやる。このホン読み用の台本をコンビニでコピーすると、@10円×103枚×出演者8人=8,240円。
結構、バカにならんでしょう?
スマホに送ったPDFファイルを読めばいいんじゃね? などと、前は冗談で言ってたのだけど、スマホの普及率もほぼ100%に近づき、マジでそうしようかと思ってます。

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