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2015年3月 2日 (月)

いったい誰のための式なのか

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik14/2015-03-01/2015030102_01_1.html

イカニモ赤旗らしい言説。もう、どっからどう突っ込んでいいのかわからないくらいだけど、とにかく、ひとつひとつの「論点」はっきりさせて議論しろよ。式での起立が強制か否かと、「侵略戦争に突き進んだ日本のシンボル」という日章旗や国歌の評価とをごっちゃにして語るから、いつまで経っても水掛け論だ。

どうも共産党は「式」というものを謝恩会か何かと勘違いしているようだけど、そういうもんじゃないんだよ。「信念」はどうでも、社会的有用性の観点から言えば、「式」というのは近代(=モダン)人をつくるのに必要な手続きなんだ。そもそも国家的な教育なんだよ。
ある文芸批評家は、今やっと日本の状況がポストモダンになったという。何がポストモダンなんだかよくわからんけど、いずれにせよそれはモダンがあってこそ。モダンて抑圧的で鬱陶しいものなんだよ。好むと好まざるとにかかわらず、その鬱陶しさを内面化することで近代人はつくられるの。ひらたくいえば「躾」だよ。私はこれを「おてんとうさま」と呼んでいるけど、躾がなってない=おてんとうさまに見られていない猿が、ゲバ棒で人を殴ったりして、それを正義と思い込む。
 

つか、相手の話を聞いておのが信念を相対化してみるって態度が、いまだ全然ないのな。だから共産党は独善的でダメだっていうんだよ。
「子どもたちのための式を台無しに」しているのは誰なのか、胸に手を当ててよーく考えて見ろ。バカタレ。

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