メタフィクション
メタフィクションというのはフィクションがあってこそのもんであって、そうした前提が、作り手と観客との間で強く共有されていることが、すなわちそのジャンルの「品」てもんではないか。決して作品の「内容」だけが問題じゃないのだ。米朝のこの噺だって、下世話で結構不謹慎だったりする。
形式自体が形式からの逸脱を内包する。つまりこの矛盾が「おかしみ」なんであってさ。「そんなの関係ねー」って小島よしおばりにハナから前提=形式を無視してみせる(小島よしお自身は一発芸の伝統から一歩もはみ出してはいないと思うけど)のを「脱構築」などといって、やたら評価した時代もあったけれども、そもそも、そういうもんじゃねーんだ。
少なくとも私はそんなふうな立場で芝居を作っている。
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