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2015年3月10日 (火)

AKB

AKBじたいにべつに恨みはないのだけど、秋元康的なるものの表出としてのこのグループを私がどーしても好きになれないのは、べつに「売れてる=大衆的」だからとか、そういうスカした理由じゃないんだよ。メンバーに好みの娘がいない、というオスの事情でもない。もちろん、秋元康がデブだから、じゃない(いや、それもあるか)。

秋元のやり方は「おニャン子クラブ」のときから基本的にずっと一緒。演者の「実存」的な部分にばかり光を当てたがる。つまり「メタ」をウリモノにするわけだ。その見せ方のアイデアとして、集団内の序列を勝ち上がる「総選挙」とかをやったりするわけでしょう? そこで泣いたり笑ったりする「私」の物語に価値があるんだと。

すると演者にとってステージ上のパフォーマンスって何?...
所詮「私」の綾付けでしかないわけだ。で、そういう基本姿勢がパフォーマンスから見て取れてしまう。そこが私は気に入らないわけ。「表現」しろよ、と。

  最近解散した「BiS」なんかも、ぜんぜんテイストは違うけれども、そういう意味では実は「AKB/おニャン子クラブ」と一緒。比較対象として、「さくら学院」なり「perfume」なり「BABYMETAL」なりのパフォーマンスを見るとよくわかる。これはダンスの振付だったりステージの演出を通しての、いわば括弧付きの【私】をウリにしてるわけでしょ。たぶん、「ももクロ」なんかも後者じゃないの? これは、よく知らんのだけど。

で、私はそういうのが「芸能」なんだと思ってる。考えが古い? けど、メタフィクションなんてもんはセルバンテスの『ドン・キホーテ』の時代からあって、それじたい目新しくも何ともないんだよ。

もちろん「好み」はさまざまで、どっちが良いも悪いもないし、こうした文脈のみでアイドル歌手の価値が決定されるわけじゃないことくらいは承知してる。けど、いずれにせよ、そういうプロデューサーサイドの「理念」みたいなものは、集団の「文化」として演者個々人に内面化される。そして舞台に表れる。「教育」ってそういうもん。

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