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2015年3月 2日 (月)

10カウント

ボクシングって、ダウンして10カウント以内に立ち上がれなかったら負けでしょ。たぶん、どの階級でも、そうだよね。

で、この「10カウント」って、べつに科学的な根拠があって「10」としたわけじゃないんだと思う。経験的にだいたいそのくらいで立ち上がれないようなら「打ちのめされた」と見なす。そういうルール。

昨日、YouTubeで、文芸批評家の座談会を見てて思ったこと。
そこで語られている本を私は読んでないのだけど、「論の立て方がマルクス主義のそれではないか。つまり世界が合目的的に発展するのだという前提に立っている」というような批判をある批評家がした。それに対し、べつのオッサンが「しかし人間は〈理念〉を捨てきれないものじゃないか。この本は、遠い未来の〈理念〉を語っているのだ」と擁護する。

確かに理念は捨てられないよ。それは私もそう思う。
けど、その「遠い未来」っていつなんですかね?
オッサンの言い分て、共産主義の敗北をいまだ認められぬ者がよく言う、「今はまだその途中」って理屈とそっくりじゃないか。

「10カウント」を過ぎてマットに倒れたままのボクサーが、11カウント目で立ち上がる可能性は確かに、ある。じゃあ、ってんでルールを11カウントにすると、11カウントでは倒れたまま12カウント目で立ち上がる可能性を含むボクサーが現れる。12カウントにしたら13カウント目、13にしたら14…(n,n+1)。
どこまで待てばいいんですか? 
20や30なら、いいですよ。待ちますよ。けれど1000、1万と言われたら、付き合いきれない。待って、起ち上がる保証はどこにもないのだし、待つ側も人間で、人間には個々に「寿命」というものがあるからだ。

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