「感情」連絡図
通俗的な文脈で使われる「権力」という言葉は、漫画チックな「支配/被支配」の構図をすぐに連想させるけれど、〈権力とは、一つの制度でもなく、一つの構造でもない、ある種の人々が持っているある種の力でもない。それは特定の社会において、錯綜した戦略的状況に与えられる名称なのである〉とフーコーがいうような意味での「権力」のイメージは、たとえば複式簿記の考えに通じるところがあるんじゃないか(ちょっと違うかという気もするけど)と私は思う。
つまり取引の二面性。その総体としての「権力」。「権利には義務が伴う」というのも、「道徳」なんかを絡めないでも、〈力〉の「仕訳」で説明できるんじゃないか、という気がする。
民主主義において、選挙を通じて選ばれた者は、その内部に何らかの力を備えた「権力者」なんかじゃなく(原理的に言って、そんなものはどこにもいない)、いわば〈権力=取引の総体〉の「執行官」にすぎない。だから交換可能なわけだ。
すると議院内閣制は「勘定連絡図」のイメージ。
と、今、書いてみたところ、「感情連絡図」と誤変換し、なるほど、それも言い得て妙かも、なんて思ってしまった。
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