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2015年1月12日 (月)

情操教育

「情操教育」というものは、べつに幼少期に〈普遍的〉な価値観を植え付けておけ、というものではなく、むしろそれらが後に自身の手によって相対化され、更新され、〈普遍的〉でないことが暴かれるのを期待して、施されるべきものではないか、と私は思う。
児童文学的な世界では、オオカミは常に「悪」である。だが、オオカミにはオオカミの価値観=世界があるのだと、やがて子供はその成長過程で気づいていく。 そうしたまっとうな知性と感性を前提としてやること。それが、子供を「信じる」ということなんじゃないか。
人生にかんする情報量不足からくる〈ピュア〉の側面だけを強調し、妄信的な性善説に基づく放任主義など、ほとんど育児放棄に等しい。

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