手段の目的化
政権批判という手段の目的化。
「ケンジを救え」などと、誰の目にもわかりやすく、それじたい反論の余地がない標語と抱き合わせる形で、〈I am not ABE〉を正当化する。
思考停止を〈ソボクな人間性〉にすり替え、渋谷辺りの道端で売ってるポエムのような「善意」を強調する。それをタコツボ化した仲間内で互いに承認し合う構造は、「放射脳」と一緒だ。実際、二つの集合は多くの部分で重なり合っているように、私には見える。
しかし「善意」というなら、オウム真理教のいう「ポア」だって、『死に際して、その魂を高い世界に移し変える(転生する)』という、彼らなりの「善意」に基づく「正義」であったはずだ。
牽強付会で独善的。今、〈I am not ABE〉な連中が掲げる「正義」は、オウムのそれとよく似ている。
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