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2014年11月26日 (水)

主体

たとえば「事件を闇に葬り去る」とはいうけど「事件が闇に葬り去る」とはいわない。どうしても「事件」を主語にしたいのならば「事件が闇に葬り去られる」だ。

これをある(自称)劇作家にわからせようとして、結局、諦めたことがある。文法的に説明しようにも、相手はそれを理解するだけの基礎学力も持ち合わせていない。自動詞/他動詞の概念すらないのだから、お手上げだ。

ていうか、文法がどうこうじゃなく、「事件が闇に葬り去る」を日本語としてヘンだと感覚的に思えないなら、そもそも劇の書き手としての資質に欠ける。
なぜなら、〈
劇を書く〉というのは、複数の異なる私=主体が出会う場の記述に他ならず、上記〈事件を/事件が〉問題は、まさにその「主体」というものに対する感性の話だからだ。

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