善人ごっこ
がんらい「情動」というものは刹那的なものではある。そのこと自体を私は否定も非難もしない。だが、「正義」に変換するならばスジを通せ。
ろくすっぽ考えることもなく、「世論」の上流からノリやすい「道徳」が流れてくればすぐに飛びつき、場当たり的に陳腐な「善」を貪るから、まるで論理に一貫性がないのだ。情動によって振り上げた拳を振り上げ続けることが自己目的化し、 肝心の論点は置き去りにされたまま。それでおのが素朴な「善人」性が担保されると思っている。
俗にいう「放射脳」の連中を見ればいい。彼らはいまだ放射能デマを振りまきつづけ、その口で風評被害を嘆いてみせる。
どんだけ自己批評性が欠如してるのか。
いや、むしろ情動に水を差す批評性を自ら掻き消さんがため、デモに下手くそなパンクバンドの演奏なぞを導入するのかも知れない。
端的にいって愚かである。こんな愚かな「善人ごっこ」が、飽きることなく繰り返されている。
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