平和を願う
日本の左翼連中は実に身勝手だ。普段は「反天皇制」だが必要な時は天皇陛下を政治的に利用する。「米帝国主義」を目の敵にするが米国の押し付けた憲法を守ろうとする。人権を重んじるふりしながら拉致問題には無関心。国内で「反権力」と叫ぶが北京へ行けばいつも独裁権力に媚を売る。卑しい者たちだ。
— 中国問題評論家 石平太郎氏の言葉 (@liyonyon_bot) 2014, 7月 30
そうした左翼による「平和を願う」系の催しは、演劇においても実に多いけれども、私の知る限り、そのほとんどが、いかにも戦後教育的な形骸をトレースしましたよ、という欺瞞満ちた通り一遍の物言いで、故意に「拉致問題」を避けている。本気で「平和を願う」のならば、絶対にここを避けては通れないはずだ。我々日本国民にとって、現に起こり、今も継続しているもっとも身近で切実なこの国家犯罪をなぜ語ろうとしないのか。それでなぜヌケヌケと「平和を願う」だなんて言えるのか。
まさか「平和」のためには同胞の犠牲は仕方がないとでも?
いったい彼らにとって「平和」って何なのか。
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