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役の生理と役者の生理は分けて考えよ、というのが、演出家としての私の、ほとんど口癖になっている。つまりこういうことだ。「役」というものは演者の主観の外化などでは決してなく、常に観客との間主観的なものである。それが演劇である以上、構造的にそのようにしてしか「役」というものは存在しえない。演者が「何を思っているか」ではなくて、「何を思っているように、観客に、思われているか」が問題だ。その自覚のない者はしばしば己の生理が役のそれを阻害する。平たくいえば、独りよがりというやつだ。
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