虚構性
先の稽古中に叔父が他界した。
告別式は公演中だったから、私は出席していない。
たとえばこれが両親だったらどうか? あるいは妻だったら?
どちらでも、私はやはり予定通り公演しただろう。
芝居をやる、というのは、そういうことだ。
ところで一般に年を取ると信心深くなるらしい。それは死を身近なものとして感じ始めるというのもあるのだろうけど、同時に生の「虚構性」が理解されるためではないか、と私は考える。
虚構となれば「物語」を与えずにはいられない。
現象を冷めた現実としてそのまま受け入れるなんて、人にはできっこない。必ず何らかの意味づけ=物語化がされるものだ。
「故人も喜んでいると思います」という喪主の挨拶に誰も根拠を求めない。そんなことしたって意味がない。
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