分裂
戯曲を〈書く〉ということは二重の意味で〈私〉の分裂を引き受けることだ。つまり、ひとつは役の数だけ。もうひとつは、〈書く私〉と〈読む私〉に。
要するに、書きながらそれを読み、読みながら書くということ。読まずに書くなどということは、(自動筆記でもない限り)あり得ない。アタリマエと言えばアタリマエだが、分裂した両者の往復はなかなかシンドイ。常に〈読む私〉が〈書く私〉を導く。前者はときに傲慢なまでの辛辣さで後者を批評する。
自作を読む力は、他人の作品(それは戯曲に限らない)を読むこと
わかっちゃいるのだけど、なかなか、ねえ…。
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