遠近法
私と同じマンションに住むAさんはとても几帳面な人。いつもきちんとした身なりをしているし、部屋はモデルルームみたいに片づいている。
そんなAさんが何かの用事で我が家を訪ねてきたという。
私が留守にしていたのでそのまま帰ったようだが、私が「おや?」と首を傾げたのは、帰宅したとき、玄関ポーチの門扉が開けっ放しになっていたからだ。
もしもこれが芝居ならば、「Aさんはそういうキャラじゃない。キチンと門扉を閉めて帰るハズだ」とダメ出しするとこだ。
しかしかように現実というものは、しばしば「らしくない」ものである。
現実と虚構とでは、パースペクティブ=遠近法が異なるのである。
なぜなら「虚構」は「現実」と異なり、常に作者の恣意的な選択が前提とされているからだ。〈常に作者の恣意的な選択が前提とされている〉ことを、作者は常に前提としなければならない。
ゆえに、もしも作品中にAさんを登場させた場合、「門扉を開けっ放しにした」という“実際”のエピソードにこだわることは、たいてい、ほとんど意味がない。
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