「書く」ということ
優れた描写というのは必ず書き手の意図を超える。計算尽くで書かれていない。翻っていえば、計算尽くで書かれた描写は、その効力を充分に発揮できない。
ロラン・バルトふうにいうなら、作品の書かれた時点ですでに作者は死んでいる。
しかしもちろん、作品は作者が書くのである。
では、テキトーに書いてあとは読者に委ねるのみか?
否。
たとえばそれは「カクテルパーティ効果」で説明できる、と私は考える。
カクテルパーティーの雑談の中で、自分に関わりのある話題だけが耳に届くという、アレだ。
作家は、ある企てをもって「雑談」を仕組むのである。
そしてその企てが何であるかは、作家も事後的にしか知り得ない。
作品を「書く」とは、つまり、そういうことだ。
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