八ツ場ダムの遅れの責任は
広島の土砂災害の事実を受け、古い記事だが再掲しておく。
群馬県に建設している八ツ場ダムの完成時期が現行計画の2015年度から4年遅れることになった。同ダムを巡る民主党政権時代の迷走を受けた結果だ。
工期を見直すためにはダムの基本計画を変更する必要がある。国土交通省は事業費の一部を負担する利根川水系の1都5県から意見を聴取するなど、計画変更に向けた手続きに入った。
すでに今年度に入ってダム本体の建設に必要な関連工事を再開している。来年度にようやく本体の工事に着手する方針だ。
完成は19年度になるものの、事業費は約4600億円と現行計画のままで据え置いた。八ツ場ダムの建設費は当初の計画と比べると2倍強に膨らんでいる。すでに事業費の約8割は執行済みだが、工事の中身を精査して計画の範囲内に収めるのは当然だ。
それにしても、民主党の迷走は何だったのかと改めて思わざるを得ない。09年に政権についた直後に八ツ場ダムの建設中止を表明したものの、地元の反発やダム事業の検証結果などを踏まえて結局、撤回した。結果的に時間を浪費しただけだった。
一般論でいえば、自然環境に様々な影響を与えるダムは造らないで済むならばその方が望ましい。しかし、それは洪水を抑える治水、水道水や工業用水を供給する利水の両面で、合理的な代替案があることが前提になる。
八ツ場ダムについては関係する1都5県が一貫して早期完成を求めている。ダムに反対する住民グループが水需要の将来推計は過大だとして公金の支出差し止めを求めている訴訟も、「需要予測は不合理とはいえない」と住民側がすべて敗訴している。
「ダムは中止」と表明しただけで済むような問題ではないことは最初からわかっていたはずだ。調査が始まって60年以上がたつ八ツ場ダム事業で計画が変更されるのは今回で4回目になる。地元住民の生活再建を進めるためにも、早期に完成させるしかないだろう。(日経新聞)
〈それにしても、民主党の迷走は何だったのかと改めて思わざるを得ない。〉などと、しれっと書いてるが、さんざん煽ったマスコミ自身がまず総括しろと言いたい。マクロな視点を欠いたまま、脱ダム=絶対善、みたいな情緒的なポピュリズムで、国の政策を推し進めるから、こういうことになる。
思い出すがいい。堤防だって事業仕分けで「廃止」の決定をされたのだ。
〈「ダムは中止」と表明しただけで済むような問題ではないことは最初からわかっていたはずだ。〉と記事は書く。
だが、それがわからぬ政治家であり、国民なのである。
ポピュリズムには、「迎合」する相手がいる。民主党政権のパフォーマンスを、「画期的」であると過大に評価し、拍手喝采した国民がいるのだ。
彼らはマスコミと一体となり、実にマンガチックな国家観のもと、自民党=公共事業=ゼネコン=巨悪という構図を自明なものとし、その上にあぐらをかいた。そうしていさえいれば、誰からの批判も受けず、ただキレイゴトを口にして、「善人」でいられるというわけだ。結果、うまくいかなきゃ、それは政治家の責任。その政治家を“誰が選んでいるのか”は不問に付したまま。
この恐るべき「お客様」根性!
この構造は震災後の原発問題でもしっかり温存されている。
単純な善悪の二分法によって「悪」とされた東電。これを貶めるデータを提供しない学者に対しては「御用学者」のレッテルを貼り、おのが思考の領域から排除する。そうして先の選挙では、デマの吹聴で知られる元俳優なんぞを国会に送り込んだというわけだ。
もし彼らの信じる“深刻な状況”が「事実」であるならば、そんな汚染された土地に住んでちゃいけない。そこでできた農作物など流通させてはいけないし、瓦礫も他県に拡散させちゃいけない。これらは科学的にまったく根拠のないバカげた言説であるが、バカはバカなりに“スジ”だけは通っている。だがその一方で、「絆」だなんだと情緒的な言葉を口にし、己の「善人」ぶりをアピールしておくことを彼らは忘れない。バカなので、その論理矛盾にすら気づきもしないのだ。
覚えておくといい。そういう薄汚いエクスキューズを「欺瞞」というのである。
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