『生き延びるためのラカン』斉藤環
なるほどセックスをすればときには妊娠もする。あげくに「愛の結晶」なんてものが生れてきたりする。僕たちは、そういう体験にこそ「本物の関係」があると信じたがっている。でも、ひとたび精神分析を受け入れるなら、そもそも生殖や繁殖は、性とは何の関係もないことになる。妊娠や出産は、実は象徴界の外で起こる、いわば「現実的」なできごとなんだ。
ラカンのいう三界「想像界/象徴界/現実界」というのが、そもそも難解すぎて、「知的に早熟な中学生ならすいすい読める」(著者)ハズの本書を読んでも私なんかにはいろいろピンとこないのだけど、ラカンのいうように、人間が「本能」を喪失した生き物だとして、単に異性愛が「自然」であるという「取り決めがされたに過ぎない」のなら、ここにいるオレや、オマエは、いったい何なのだ?
「取り決め」による産物?
仮にそうだとしても、じゃあなんでそんな「取り決め」がされたのか?
妊娠・出産という「現実界」のできごとが、「象徴界」における合理的な組み合わせの選択(男×男でも女×女でもなく男×女)を指し示している、といえるんじゃないの? それがすなわち「自然」てことなんじゃないの?
そいつを否定するから話が積み上がっていかない。
同性愛者への差別を肯定する気はさらさらないし、男×男でも女×女でも私に関係ないので基本的に「知らんがな」の立場だが、誰もが一対の男×女である両親の間に生れてきたという厳然たる事実は覆らない。その「事実」つまりこの世に生まれてこなければ、LGBT「問題」も存在しない。
そう考えると、「生殖や繁殖は、性とは何の関係もない」と大見得を切る資格があるのは、この世に生れて「こなかった」者だけだ、と私は思うんだがね。
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