『杳子・妻隠』古井由吉
深夜、カーペットに落ちた髪の毛が突然気になりだして、コロコロで掃除する。一度気になりだすと、壁紙の煤けた汚れや、ガラスの指紋、テーブルの上のコップを置いた丸い跡など、とめどなく気になりだす。
そんな自分の姿を省みて、これって昔、どこかで読んだことがある、そう思い、本棚の奥から古井由吉の「杳子・妻隠」(新潮文庫)を引っ張り出してきた。
礼子は濡れ雑巾を片手に、煤けた顔で台所の混沌の真只中に立ってうつむいていた。
「何してるんだ。こんな時間に」
「ええ、戸棚の奥がなんだかカビ臭くて」
まだそのにおいが残っているみたいに礼子は眉をひそめて、戸棚の前にゆっくりしゃがみこんだ。そして戸棚の中を雑巾で力いっぱいに拭き、手を止めて奥をじっとのぞきこんだ。(妻隠)
静かな「狂気」。その舞台装置は、やはり「日常」こそが似つかわしい。
ちなみに「杳子」は「ようこ」、「妻隠」は「つまごみ」と読む。
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