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2014年8月26日 (火)

闘志

プロパガンダのツールとしての演劇は、やる側がアツくなればなるだけ見ているこちらはドン引きで、少なくとも私は、そういうものに微塵の価値も感じられない。
逆に、劇固有の「正義」を追求するような芝居であれば、つまり劇構造に自覚的に書かれたテキストの上演は、たとえ意匠がどんなに地味であっても、じゅうぶん刺激的たりうる。

先日見た知り合いの芝居が、正にそうであった。
一見、オーソドックスな「ゴドー待ち」構造。だが特筆すべきは、その〈不在の中心〉を、登場人物の「語り」が叙述/虚構の二重のレベルで一挙に中心から消し去る(=殺す)ダイナミズム。「殺し」のタイミングがばっちりハマったのは、作家の意図を超えた“偶然”に違いないが、それこそが「演劇の神様」の仕業というものだ。それだけに、ラストの「オチ」(=〈虚構〉レベルの作家の作為)は余計であると感じたのだったが、ともあれいいものを見た。

「劇評」のつもりはないので作品名等をあえて明かさないが、作者と私の関係は、過去にある戯曲賞の最終選考で〈敵〉同士だったということもあり、シンプルに“闘志”を掻き立てられたのだった。

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