科学者が放射能騒動に関わらなかった理由
http://blogs.yahoo.co.jp/bloom_komichi/66459413.html
「歪んだ正義感」や「「危険」と言う方が思い遣りのある人と取られやすい雰囲気」で、ノイジーマイノリティのヒステリーが専門家を黙らせた結果、大衆の多くは有意な情報を得る機会を奪われた。
リスクを「正しく」=「適正に」恐れる必要を、この「歪んだ正義感」の持ち主たちは、まるで理解しない。“事実を知りたい”というポーズをとるくせに、その実、決して学ぼうとしない。せいぜい自分の思い込みを補強するのに都合よさげな知識だけを仕入れ、それで耳目を閉ざすから、専門家がどんなに正しく情報発信に努めたところで徒労に終わる。
発信器が優れていても受信機がぶっ壊れていたんじゃ話にならないというわけだ。
「「危険」と言う方が思い遣りのある人と取られやすい雰囲気」に浸り、場当たり的に善人ぶるから自己矛盾に陥るのだ。振り上げた拳を正当化するために都合良く他人の言説をコラージュするから、論理的整合性などありはしない。
たとえば「東京五輪招致」に、放射能汚染を理由に反対の声を上げたその口で、被災地の風評被害を嘆いてみせる、あの連中を思い出せばいい。
彼らは自ら被災地への差別と風評被害を助長しながらその自覚すらない。自分の論理が矛盾していることにすら気づかない。そうしてワイドショウばりの短絡的な「物語」で「絶対悪」を作り上げては、それを叩くことで、おのが「正義」を担保しようとする。
上記リンク先の記述にもあるように、一時期、放射線による影響で畸形が生まれたというデマが流された。
そもそも畸形はどんな環境でも一定数生まれるので、それが放射線由来であるというなら、因果関係を示す客観的根拠が示されてしかるべきだ。
だが、そんなものはありはしない。何が根拠たるかすらも彼らは理解できていない。ただ放射線の恐怖を強く「印象」づけるのに、出所も怪しいグロテスクな奇形児の写真を利用した。これをSNS等で拡散し、ファナティックに恐がって見せれば、「問題を憂慮する善人」のスタンスで、社会問題にコミットしているとでもいいたげだ。
こういうバカのお祭り騒ぎにより、被災地は風評被害による経済的ダメージを受け、また実在する奇形児たちの人権は傷つけられたのだ。「ブーム」が去っても、何ら総括されることがなく、だからいつでもまた同じことが繰り返される。
バカに限って動機の純粋性を強調したがるが、仮に動機が“純粋”であったとしても、そんなものは免罪符にはならないのだ。
騒ぎに乗じた連中は、差別主義者の片棒を担いだのだと知れ。
そして何より、この差別主義者たちの中に、日頃「人権」を声高に口にする演劇人の多く含まれることを、私は劇作家として記憶しておく。
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