『東京大学「80年代地下文化論」講義』宮沢章夫
〈ピテカン〉的なものと〈おたく〉的なもの。前者が80年代の文化的ヒエラルキーの上位に、後者が下位にあった、と著者はいう。そして当時、虐げられていた〈おたく〉たちが、後に「ヒルズ族」なんかになり、80年代を振り返ったとき、あの時代は「スカ」だった、と切り捨てる。
概ねそんな見取り図(ストーリー)で、大塚英志『「おたく」の精神史』を反語的に参照しつつ、「80年代」を再評価しようという試み。らしい。
「おたくの保守性」に対する〈批評性〉」というチャプターで、『おたくが閉塞しちゃった先にあるナショナリズムというのは、具体的にどういうものなのかというのを聞きたいんですけど』という学生の質問に対する回答の中で、著者は次のようにいう。
たとえば、小林よしのりのような人が出てきて、ちょっと肩を押されると、すっと右の方へ行く。すると彼らは簡単に、ものごとを単純化する。小林よしのりが語ったような言葉を使うわけです。
だが、「簡単に、ものごとを単純化」するのは、べつに〈おたく〉に固有のものではないだろう。それが証拠に、この著者こそがここでこのように〈おたく〉とナショナリズムを単純に結びつけている。
俗に若者の右傾化といわれる現象に関し、私なりの感触を述べておけば、ざっとこうだ。
戦後、なんとな~く左よりの立場で自民党批判でもしておけば「正義」が担保できる時代が長く続いた。しかし北朝鮮による拉致事件を目の当たりにした若者は目が覚めた。少なくとも、なんとな~く左より=うすら左翼が無条件に肯定される戦後教育的パラダイムに疑いを持ちだした。よほど知的に鈍感でない限り、日教組的な欺瞞に気づき、「国家」というものを少々真面目に考えざるを得なくなった。
その一部が先鋭化して民族主義的言論をネット上などで弄していることは事実で、おそらく著者は、そうした連中に苛立っているのだろうが、一部を全体に敷衍すると大事な文脈をつかみ損ねる。己の立てた仮説のフレームにあわせ、現実の方を歪めてしまう。
私もまた、80年代を「スカ」と切り捨てることに異論を唱えたい立場だが、たとえば下の動画のような光景を目にするにつけ、脱力してしまうのだ。
http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=fCbzuDDaY7c
鳥肌が立つほど恥ずかしい。
上記引用文の「小林よしのり」を、「大江健三郎」や「柄谷行人」、あるいは〈ピテカン〉的なる人物として本書でも名前の挙げられている「いとうせいこう」に置き換えてみればいい。
右と左が異なるだけで、これもまたひとつの「内閉する連帯」に他ならぬのではないか?
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