交換可能
〈物語は交換可能〉というとき、話の筋は作家によって恣意的に変更できる、という程度の意味に解釈されがちだけれども、私が言いたいのはそういうことじゃない。
むしろ「筋」の〈正解〉は、テクストの構造によってある程度規定されるものだ。漱石の『夢十夜』の第六夜で運慶がいう。「なに、あれは眉や鼻を鑿で作るんじゃない。あの通りの眉や鼻が木の中に埋まっているのを、鑿と槌の力で堀り出す迄だ」。そういうことだ。
アクセントはむしろ「物語」の側にある。
つまり、それが物語=虚構である以上、べつの虚構に丸ごと差し替えることが〈可能〉である、ハズ、ということ。
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