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2014年6月

2014年6月30日 (月)

『ヒミズ』古谷 実

小学校の帰り道、私は路側帯の白線の上だけ歩く、というルールを自分で自分に勝手に課して、家まで帰ろうとしたことがある。しかし途中に車が駐めてあったり、そもそも白線が途切れていたり、しばしばルールの変更を余儀なくされた。

 「オジさんは自分で決めた自分に対するルールみたいなモノを何度も破って大人になったのか」

 本作の主人公・住田は、知り合ったホームレスの男に問う。「そして今、自分で自分を許せるのか」と。

中学生の住田は、白線の上を行くことにこだわりすぎた。
それがもともと根拠のない、馬鹿げたことだという自覚はあるのだが、すでにその他の選択肢は捨ててしまった。
必然的に辿り着くのは悲惨な結末。悲惨ではあるのだが、私には、なぜか妙に清々しくも感じられた。

『エースをねらえ!』山本鈴美香

421648_166438670135378_1000030773_4 言わずと知れたスポ根少女漫画の金字塔。
第1部(1973年~1975年)、第2部(1978年~1980年)、『週刊マーガレット』に連載。

1部と2部の間に3年のブランクがある。
宗方コーチの死で一旦は完結し、その後「大人の事情」で続編が書かれたのだろうと推測できる。
第2部になると、正直、私は退屈して読み進めるのがつらかった。長~い蛇足、という感じ。

特に腑に落ちないのが藤堂さんの扱い。
宗方コーチの死でフヌケとなった岡ひろみを立ち直らせるのは本来、藤堂さんの役目じゃないのか? 生前の宗方コーチに「岡をたのむ」とまで言わせ、その死を予感する唯一の人物だったんだぜ? 
藤堂、いいのか、それで?

“白票水増し”高松市の選管職員ら3人逮捕

去年7月に行われた参議院選挙の比例代表の開票作業で、高松市の選挙管理委員会の当時の事務局長ら開票担当者3人が、一度集計し終えた白紙の票をもう一度集計させることで白票の数を実際よりおよそ300票増やしたとして、検察は、3人を公職選挙法違反の疑いで逮捕しました。

逮捕されたのは、いずれも去年の参議院選挙で高松市の開票作業に当たった、当時の市の選挙管理委員会事務局長の山地利文容疑者(59)、当時の市の財政局職員、大嶋康民容疑者(60)、それに市の消防局次長の山下光容疑者(56)の3人です。
検察によりますと、3人は去年7月の参議院選挙で、高松市の体育館で行われた比例代表の開票作業で白紙の票の数を実際よりおよそ300票増やしたとして、公職選挙法の投票増減の疑いが持たれています。
検察によりますと、3人は一度集計し終えた白紙の票を再び担当者に手渡し、もう一度集計させていたということです

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140625/k10015502771000.html

これ、とんでもないことだぞ。
浅薄なフェミニストにおもねったくだらんヤジ報道を繰り返してるヒマがあるなら、マスコミはこういう民主主義の根幹に係わるデタラメを徹底的に追及すべきだ。
しかしなぜ、日頃「不正選挙」と騒いでる連中は、これに口を閉ざすのだ? そういうダブルスタンダードだから欺瞞だというのだ。

 

本質

浅薄な「正義」の下に群がって、互いの「善」を承認し合う。なんとも気色悪い光景だが、これが群衆の本質なのかも知れないね。

穢れ

“汚染水”に関する問題は、まさに山本七平いうところの臨在観的把握、現代の“穢れ”だ。
これが
経済と結びつき、ひとたび既得権益化すると、もう後戻りできなくなる。利害関係は、時間が経つほどに複雑に絡みつき、〈日常化〉していく。

行動経済学という、半分心理学のような学問があるが、仮にそれが今の日本の大衆心理を経済学的に正当化するならば、なるほど原発のコストはベラボーに高くつく。“穢れ”を祓うために、どれだけ不合理な“生贄”が必要なのか、わからない。

今の日本は、羮に懲りて膾を吹き続け、そのまま餓死しそうな状態だ。
だが、
誰も長期的視点に立ってエネルギー政策の「現実」に向き合うことをしない。マスコミは合理的な検証をせず、相変わらず左翼好みの、国家=悪/大衆=善という、単純な二項対立で、政府に対して批判のための批判を繰り返すのみ。その方が視聴率がとりやすいのだろう。大衆の床屋政談には、この程度にわかりやすい「物語」が必要だ。

そしてそんな大衆は、情緒に訴えかけてくる怪情報には
すぐに飛びつき、深刻ぶって不安を口にするくせに、とうの昔に公的機関から出され、誰でも参照できる状態にある科学的知見には見向きもしない。
この恐るべき知的怠慢。
しかしこれが日本という国なのだ。こんなふうに論理的思考を等閑にして、“なんとなく”そして“いつのまにか”先の大戦にも突入していったのだ。

日本はエネルギー安全保障の政策を誤り、対米戦争を始めた。日本人は「平和」を口にするだけで、そこから何も学んでいない。

新宿南口で男性が焼身自殺図る 「集団的自衛権の行使容認に反対」演説後

29日午後2時10分ごろ、東京都新宿区西新宿の歩道橋上で、男性がペットボトルに入ったガソリンのようなものを頭からかぶり、自分で火をつけた。男性は病院に搬送されたが、やけどを負うなどして重傷。搬送時に意識はあったという。

警視庁新宿署は容体が回復次第、男性から事情を聴く方針。

現場はJR新宿駅南口の「新宿ミロード」と「新宿サザンテラス」をつなぐ、「ミロードデッキ」と呼ばれる歩道橋。周辺では買い物客などが通行しており、一時騒然となった。

同署によると、同日午後1時5分ごろ、現場周辺にいた男性警備員から「歩道橋の鉄枠の上に、50~60代でグレーの背広を着た男性が乗って、拡声器で何かをしゃべっている」と110番通報があった。

署員が駆けつけたところ、歩道橋の上に組まれた鉄枠部分に座った男性が、拡声器を使い、集団的自衛権の行使容認や、安倍晋三首相の政策に反対する内容の演説をしていたという。

男性は1時間以上にわたって手元の紙を読み上げた後、脇に置いていたペットボトル内の液体を頭からかぶり、ライターで火を付けたという。火は、駆けつけた消防隊員らに消し止められた。(産経新聞 2014.6.29)http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/140629/dst14062916150005-n1.htm

記事の通りだとすれば、まさにカルトじゃないか。
すぐにチベットの僧侶が引き合いに出されるが、言論の自由がない国で、やむにやまれずこの方法が選択されるのと、当該事件は本質的に異なる。それがわからぬようなら軽々しく「言論の自由 」を口にするな。
しかしかように情緒に訴えかけることが、ある種の人に「効く」のも事実だ。またヒステリックに被害者面し、「憂慮」のポーズをとる演劇人も現れるだろう。
だが、こうした方法で対話を無効化する「暴力」を容認する人間に、少なくとも演劇を語る資格などない。

2014年6月29日 (日)

優先順位

酒を飲ませて女をレイプしようという犯罪者よりも、被害者のないアニメの描写を憂慮する国民が、現実に拉致された同胞の奪還よりも、鳴ってもいない軍靴の音に頭を悩ます。

2014年6月28日 (土)

オトシマエ

いわゆるポストモダンのオトシマエをどうつけようか、というような言説が、ぽつぽつ出てきてる感じがして嬉しい。
思考の足腰が弱り、「伝統的」な右や左に回収されてしまった怠惰な「知識人」たちは、もう知らん。
さようなら。

古民家カフェ

近所にあった古民家カフェみたいなのが、いつか行こうと思っているうちに潰れてしまい更地になった。
どんな店だったのだろう、と検索してみるのだが、誰もその話題を語ってなくて、あれは夢だったのではないかと思えてくる。

目的

演劇というのは、物語のスジや、それを書いた作者の意図を観客に「正確」に伝達=説明することを目的とした媒体では、ない。

懐かしむ

懐かしむ、というのは単純に過去を振り返る、というよりも、ありえたかもしれぬ自分の姿に思いをはせる、つう、いわばささやかな「創作」行為が含まれているもんでしょ。ゆえに過去は美化されるのだし。

2014年6月27日 (金)

人間性

根っからの悪人はいない、などとオメデタイことをいうつもりはないが、しかし一般に「人間性」なんて呼ばれるものの相当の部分は、ある関係性における「状態」に過ぎない、と思っている。

2014年6月26日 (木)

体験

舞台上の演技が何かしらの状態の模倣・再現であるならば、俳優の個人的な〈体験〉は数ある取材対象の一つに過ぎない。
つまりこれが自己相対化ってことだ。

2014年6月25日 (水)

醜悪

今の子供は加減を知らない、とか、何の根拠があってか知らぬが、ワケシリ顔でいうオトナ。
まったくいつもいつもテキトーなことをよくいうよ。
そんな彼らがこのたびも善人ヅラして通俗的かつ陳腐な「正義」のもとに群がって、おのがリンチ体質の正当化を互いに承認し合う。この醜悪。

2014年6月24日 (火)

道徳

およそ反論の余地がなさげな「道徳」を身にまとうことが、自分の付加価値になるとでも信じているのかもしれないが、実際のところ、陳腐な通俗性しか示さない。

ヤジ

昔、アホな国会議員が誰も触れてもいないのに派手に転んでみせ、大衆の同情を買おうとしたことがあったけれども、権力者に当て込まれるこうした「俗情」、それを増幅するマスコミのありよう、そしてまんまと乗せられる者の一定数存在するという点で、今度の都議会ヤジ騒ぎと通底していると感じる。

2014年6月23日 (月)

馬鹿め

「仲良く」するために同胞の拉致には目をつぶるのか? 
それのどこが「平和」なんだよ?
「平和」だ「人権」だと主張する演劇人はなぜ拉致問題に口を閉ざすんだ?
語るべきことを語らず、現実にそこにある問題から目を背け、相手に同調して自国の政府でも批判してりゃ「仲良し」か。馬鹿め。

2014年6月21日 (土)

意思

小屋のウェブサイトにちゃんと簡略化された自前の地図があると好印象。googleマップとか貼り付けてあるだけだと、「ほらよ。あとは自分で調べな」と言われているようで、導こうという意思を感じない。

方法

ごちゃごちゃノーガキたれてねえで、とりあえずやってみる。で、完全敗北して才能のなさを思い知る。つう方法がわりと好みだ。

なぜか男優の「指」が気になる。自分の指が不細工なのでコンプレックスがあるのかも。ともあれ日常的な所作で、男の「指」を見せるツールとして、煙草はうってつけだった。けど、それもいろいろ難しい時代。べつの何かを「発見」しなければ。

労働

いつまでもマルクス主義的な価値観を絶対視していたり、あるいは学生時代には保守的なイイコだった反動が40過ぎて出ちゃいました、万国の労働者よ団結せよ、なんてのはほんと困りものだけれども、そもそも労働とは何かというような、プリミティブな視点にたまに立ち返るのは、大事なことなんだと思う。

伝統

「伝統」を批判する。たとえばカフカ的な寓話の手法によって。それって、確かに演劇になりやすいし何かを言った気にもなる。けれど、それもまた演劇史的な「伝統」の内にあるという自覚が、どれだけの作り手にあるか。

ソファ

深夜、ソファを搬出。昔、地下鉄の電車はどこから入れたのか、考えると夜も寝られなくなっちゃう、つうのがあったけれども、よくまあ、こんなでかいの入ったな、と。居間の入口をなんとか通過したと思ったら、玄関でにっちもさっちもいかなくなる。寝室のドアを塞いでしまっているので、中で寝ている妻は出てこれない。そうか、こんなふうに「密室」のつくられる可能性もあるのだな、ちょっと書斎じゃ考えつかないや。とか思いつつ、ぐりぐりやって、なんとか引っ張り出した。焦ったぜ。

2014年6月11日 (水)

製本

小劇場じゃ多くの団体は、台本はコピーで済ますけれど、ウチはいつも製本しちゃう。楽だし綺麗だし、そのまま物販にも使えるし。
そんなとこに金かけて、とも言われるが、実はコピーするより安いんだよ。
では、なぜ、みんなそうしないか? 
製本するのに時間がかかるのだ。ウチは最低二週間ほどみてる。ここがネックなわけ。
翻って言えば、こいつをクリアしたらば、印刷屋にとってビジネスチャンスかもよ。

2014年6月 7日 (土)

一貫性

いまだこうしたバカがいることには呆れるが、「食べて応援」を支持する素振りの一方で低線量被曝に過剰反応するトンチンカンより、少なくとも論理的一貫性はある。

http://togetter.com/li/676421

いい人アピール

右とか左かどーでもいい。場当たり的に通俗的な「善」を身にまとい、その結果生じる論理の一貫性のなさに無自覚なやつに腹が立つ。 そっか〈通俗的な「善」を身にまとい〉とかまどろっこしい言い方しないで〈いい人アピール〉っていえばいいのか。丸山眞男がいうところの「動機の純粋性」の披瀝。端的にいえばこの〈いい人アピール〉って冤罪のモトだかんな。

前例主義

しばしば役所の「前例主義」が批判されるが、批判する方もまた、役所はそのように批判されるものだという前例に基づいて批判している。

2014年6月 4日 (水)

お膳立て

たとえばもしも紅テントや天井桟敷の市街劇が、その芸術性を理由に消防法の適用を“特別”に免れ、公演場所も国家がお膳立てしたとしたら、そんなもん誰が見たいというのだ?

慣習の強度

「悪法もまた法なり」といって処刑されたソクラテスは法治主義を絶対視した人のようにいわれるけれど、むしろ慣習の強度により悪法の「悪」が後に裁かれるという確信があったからこそ、死ねたんじゃないかと思う。

虚構

初期の天井桟敷を、もちろん私はリアルタイムじゃ見てないのだけど、もしも実際に見ていたら、果たして面白がれただろうかと思ってしまう。動画で語られているような“屁理屈”が寺山の魅力であったには違いないけど、同じアングラ第一世代でも、たとえば太田省吾の「虚構」に対する言説の方に私は共感してしまう。

http://youtu.be/x6VLefVva74

2014年6月 3日 (火)

迫害

法の意図するところを曲解し、なんでもかんでも「迫害」とかいう被害妄想。「狼少年」が最後に本物の狼を召喚したように、むしろこの「迫害」のインフレこそが、真の危険を呼び寄せるのだ。

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