自明性
「赤信号、みんなで渡れば怖くない」と、その昔、ビートたけしは言った。
だが、渡ろうが渡るまいが、赤信号を止まるべき“記号”として認めているという点では、どちらも同じことだ。
“変わらない日常”が主題となり得た時代。そんな1980年代に私は青春を過ごした。「自明性」を疑い、信号機の「意味」をいかに無効化するか。冗談めかしながらもみんな結構真顔であれこれ試みていた。例のポストモダンてやつ。
だが、今振り返ってみれば、誰も「意味」を消し去った後のことまでは考えていなかった。というか、消し去れる、などとは本気で思っていなかった。むしろ「自明性」を強く信奉していたからこそ、疑うポーズがとれたのだ。
まるで当時流行ったテニスの壁打ちだ。ほどよく返球されることを前提に、仮想敵に打ち込むのである。
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