あえてイチャモンつけるとすれば、ちょっと「正し」すぎる気がしないでもない。それは登場人物が、陳腐な意味で「いい人」に描かれてるとか、そういうんじゃないくて、むしろその逆。皆が「成熟」しすぎと感じたのだ。この町の人々、どうも平均して知的水準が高すぎる、バランス感覚が良すぎると感じてしまう。人間、もっとバカだと思うし、世間てもっとゲスなもんじゃね? むろん、そういう世界観で描かれた作品じゃないと言われれば、そのとおりなのだけど。
とかなんとか勝手なことを言ったけど、相変わらずめちゃ巧いのは確かだし、実はとても楽しめた。
株価が変動するのは何故か? →株式に対する需要と供給の関係。
じゃあなぜ需要が起こるのか? →配当があるから。
ここまでは中学生でもわかることだが、配当ゼロの株式も市場で取引され、現に株価は上下している。
なぜ配当ゼロの株式に需要があるのか?
という問いが、大学時代にゼミ(マル経の金融論)で議論され、我々学生の出した結論は「売却益を見込むから。つまり安く買って高く売る」。
では、なぜ安く買って高く売ることが可能なのか? →株価が変動するから…。
これでは結局「株価が変動するのは、株価が変動するから」といってるのに等しい。トートロジー。
私としては、べつに単位さえもらえりゃそれでよく、この疑問はそれっきり捨ててしまったのだが、しかし探せば合理的な説明というのはあるもので、なるほどなあ、と今さら納得させられたのだった。
http://mf0929.blogspot.jp/2012/05/blog-post_26.html
無駄に顔を合わせず、適度な距離をとる。そういう「平和」のつくり方だってあるでしょうよ。「こんにちは。いい天気ですね」こんな会話以上をすべきでない「友」というのも存在する。
善悪というのは常に相対的なもの。当たり前のことだけれど。その当たり前の自覚があれば、いい大人が中学の道徳みたいな「ピュア」を絶対視なんかできないはず。だからいうのだ。アツさはときにバカと同義語だと。
観客の「視線の形式」に対するスタンスをどう取るか。
演出家はそれを決めなきゃならない。
それが作風とかスタイルとかいわれるものだが、さまざまな現実的要素により、必ずしも任意に選び取れるというわけじゃない。
そこがつらいところ。
男子より女子の方が国語力が高い、というのは一般によく言われることだが、自分の経験に照らしても、確かにそう感じる。もちろん例外はいくらでも存在するのだろうし、理由はよくわからないのだけれど、女子より男子の方が背が高い、というのと同程度の感覚で、男子より女子の方が国語力が高い。
歌謡曲の歌詞なんかにありがちな、「好きでいさせてください」というフレーズが大嫌いなんである。この一見謙虚なふりした押しつけがましさ。好きでいたけりゃ勝手に好きでいればいい。相手の承認は不要だ。
田山花袋「蒲団」のネタ本の戯曲。
後藤明生による指摘を引き合いに出すまでもなく、「蒲団」の作中にそのような言及がハッキリある。つまり、「蒲団」の竹中時雄≒「寂しき人々」のヨハンネスというわけ。
このヨハンネスの、妻に対する鈍感、無神経ぶり!
「解説」によれば、この作品は『イプセンの「ロスメルスホルム」とテエマを等しくし、種々の点で学んだところが多いと思われる』とのこと。
さまざまな仕掛けが施されていることも、漫画固有の文法を活用した「あえて」のご都合主義も、わからないではないのだけど、結局私は最後までノレなかった。
アイデアの開示に過ぎぬというか、物語の「設計図」を読まされたようだ。どこぞの社会派劇作家のような「説明台詞」も多々あり、これも相当に萎えた要因だ。
そんなわけで『啄木の歌を「代入」することで「内面」を与えた。』云々の「あとがき」は、言い訳がましいというか、さらにシラケてしまったのだ。
保守と革新の正確な定義は難しいが、「言葉」という観点から、こう定義づけられるんではないか。すなわち、すでにあるいわく言いがたいものに言葉を与えるのが「保守」で、逆に、いまだないものを言葉によってあるように見せるのが「革新」である、と。
深沢七郎のデビュー作(第1回中央公論新人賞)にして代表作。1958年に木下惠介監督、1983年に今村昌平監督により映画化されている。
いわゆる「姥捨て」の話。息子の辰平が年取った母おりんを山に置いて下りる途中で、かつて母の予言した通りに雪が降る。
辰平は猛然と足を返して山を登り出した。山の掟を守らなければならない誓いも吹きとんでしまったのである。雪が降ってきたことをおりんに知らせようとしたのである。知らせようというより雪が降ってきた! と話し合いたかったのである。本当に雪が降ったなあ! と、せめて一言だけ云いたかったのである。
プロミネンス(ぷろみねんす)prominence
話し手が情的意味を伝達または強調するために、発音の一部分を発音の上で際立てること、あるいはその際立てられた部分。卓立。発音の際立ちは、意味のレベルでは焦点に対応する。アクセントとは異なり、語の知的意味の弁別に役立つことはない。また、発音の特定の部分に対応することから、文などの表現単位に対応するイントネーションとも区別される。
http://homepage3.nifty.com/recipe_okiba/nifongo/glossh3.html
テレビやラジオのアナウンサーが漢字を読み間違える例など枚挙にいとまがない。間違えや勘違いなんか、人間誰でもあるのだし、そんなことでいちいち揚げ足をとるつもりもない。
だが、プロミネンスについて。
たとえば、「戦後最大の台風です」という一文。
特殊な文脈にない限り、「戦後最大」が強調されて読まれるべきだ。日本に住んでりゃ、台風なんか毎年くるものなんだから。
しかしどうも最近(数年? あるいは十数年?)、「台風です」にプロミネンスを置いて読まれがちな傾向にあると感じられ、気になってしょうがない。
「台風が近づいています。戦後最大の“台風です”」という具合。
だから、台風はわかってるっつーの!
住まなかった場所、つき合いのなかった友、出会わなかった恋人…。
そういう、“ありもしない過去”が、ときに(というより、しばしば)現実よりも懐かしく、愛おしいのである。
現実逃避と言われれば、まあ確かにその通りかもしれないのだけれど、住まなかった“あの場所”に帰りたい、出会わなかった彼らと“再会”したい。そのための口実として私は芝居をこしらえているのかもしれないな。
明け方、山田勇男監督の『少女オルフェ』と『星とプロペラ』を観ながら、ぼんやりそんなことを考えた。
たとえば「かつて私は金がすべてだと思っていた」という告白。当然、これに続くのは、「しかし今の私は―」と、これまた通念的な「善」の上書きによる自己肯定が展開されるわけだが、こんなものに人々が共感し、あわよくば感動すらすると踏んでいる、ナメた眼差し。
ざっくり要約すれば、ニューウェイブ大好きの北海道田舎娘が80年代東京を異化する話。私自身『宝島』読者の田舎者だったし(テクノとか、イタイと思ってたけど)、面白く読んだ。神田の『ブラック』とか懐かしい!
巻末に作者と浅田彰との対談。作者は主人公に対して「あまりにもバカなので、描いててハラが立ってきちゃって」というけれど、私は主人公のヨクボーのありように、むしろとても清潔さを感じた。
途中まで、すごく上手いなあと感心しながら読み進めました。
が、後半、「物語」による展開に頼りだすと、ああ、なんかフツーになってきた。力尽きたな、と感じざるを得ませんでした。
芥川賞の選評で山田詠美が「良識あると自認する人々(物書きの天敵ですな)の眉をひそめさせるアイテムに満ちたエピソードの裏側に、世にも古風でピュアな物語が見えて来る。」「ラストが甘いようにも思うけど。」と言ってますが、同感です。
なぜそうなるか?
作家は“個性的”たらんとして他者との差別化を図るわけだけれども、と同時に読者に共感させもしたいわけで、このジレンマの解消は、いうほど簡単じゃない。
「批評」をざっとネットで検索してみると、しかしもっと古風な文学観を得意げに披露してる方が結構いて、ちょっと驚き。
私も最近はあまり小説を読まなくなりましたが、それなりに読んでいた学生時代はテクスト論全盛でしたから、「作者の言いたいこと」だとか、アホかって感じがありましたけれども、あれから二十数年、時代は巡り、むしろテクスト論など過去の遺物、「作者のいいたいこと」系の方が主流ということなのかもしれません。
これはやはり時代が保守化しているということなのでしょうか?
違うと思います。
たぶん今も昔もそういう読者層は常に存在したんです。
けれどあの時代、我々読者が目にすることのできた「批評」は文芸誌に載ってるような、いわゆるプロのものばかり。“一般人”の素朴な感想って、まず目にする機会がなかった。
それが今、フェイスブックとかブログとかツイッターなどのツールによって顕在化したにすぎないんだと思います。善し悪しはともかく。
言いたいことがあるなら言えばいい。fbで誰かの記事に「いいね」して、自身のスタンスをこっそり主張するなど、言論に関わる者のすることか。自分のケツは自分で拭え。
正月に帰省した際、群馬の実家で飲んだコーヒー。
このカップ、少なくとも40年前に見たことがある。いまだ現役。物持ちいい。
40年前は、小さな平家建てに住んでいた。コーヒーには砂糖とクリープを入れる。ピアノの先生が来るとコーヒーを出す。ピアノは苦痛。近所の同級生がみんな習い始めたものだから、母が負けじと私に習わせたのだった。あんまり苦痛なものだから、授業をすっぽかしてザリガニ吊り。酷く叱られた。
等々、記憶が芋づる式に。
思い出が美化される、というのはある意味当然のことなのだ。
記憶とはそもそも「物語化」に他ならない。人は自分の過去を物語として記憶する。
「歴史」が「物語」であるというのはこの文脈上にある。
ならば、「歴史の共有」など不可能な話だ。私の記憶とあなたの記憶が決して一致しないように。
こういうシンプルな推測もできず、やれサンフランシスコ講和条約がどうだと妙な屁理屈こねてる連中は、世間知らずのお人よし、というよりも単に学習能力がない、要するにバカなんだと思う。
そりゃあ、何度見直しても、原稿に誤植があるわけだよ。
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