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2013年11月 2日 (土)

自覚

この「対決点」の上に、選挙で選ばれた議員は立っている。それが民主主義における「権力」の根拠だ。
 
山本太郎は、彼自身が言うように、“天皇の政治利用”というつもりはなかったのかもしれない。もっと幼稚なパフォーマンスとして、安っぽいテレビドラマレベルのヒーロー像をなぞっただけのように思われる。
だが彼は仮にも国会議員である。好むと好まざるとにかかわらず「権力」の側にいる人間だ。ならば憲法の制約を受ける。当然だ。憲法とは国家権力を縛るものなのだから。

アツさはときにバカと同義語、というのがかねてからの私の持論だ。今回のこれがまさにそのケース。バカは死ななきゃ治らないというから山本太郎もずっとこのまま、正義面して科学的根拠なきデマを振りまき続けるのだろう。それより呆れ果てるのは、「護憲」を標榜する左翼の中に、「脱原発」を蝶番とし、山本を擁護する者のいることだ。この欺瞞。いったい彼らの「信念」て何なのか? 

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