欺瞞
疑いようのないモラルを原理主義的に引き合いに出し、物事を単純明快にアツく語れば、なんとなく正しげな空気を身に纏うことができる。
だが、現実はそう単純にはできていない。そんなことは誰でも知っている。知っていながら何故そうするか?
ラクしておのが正義を担保できるからである。
俗情と結託して自明性をテコにすれば、信念の正しさを顕示するのに、それ以上の説明は必要ないというわけだ。彼らに賛同するのは頭の悪いガキでもできるが、反論するにはまず、互いに共通の文脈を用意せねばならぬワケで、そもそも聞く耳持たぬドグマの住人との間に、これを構築するのはひどく手間と時間がかかる。
そしてそのコストはこちら持ち。
私が彼らの“善人アピール”を「欺瞞」と蔑む所以である。
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