驚くべき
まず、バカでも大新聞の社説が書ける、という事例を以下に示す。
麻生氏ナチス発言 撤回で済まない重大さ
何度読み返しても驚くべき発言である。もちろん麻生太郎副総理兼財務相が憲法改正に関連してナチス政権を引き合いに「あの手口、学んだらどうかね」と語った問題だ。麻生氏は1日、ナチスを例示した点を撤回したが、「真意と異なり誤解を招いた」との釈明は無理があり、まるで説得力がない。まず国会できちんと説明するのが最低限の責務だ。
麻生氏の発言は改憲と国防軍の設置などを提言する公益財団法人「国家基本問題研究所」(桜井よしこ理事長)が東京都内で開いた討論会にパネリストとして出席した際のものだ。要約するとこうなる。
戦前のドイツではワイマール憲法という当時、欧州でも先進的な憲法の下で選挙によってヒトラーが出てきた。憲法がよくてもそういうことはある。日本の憲法改正も狂騒の中でやってほしくない。ドイツではある日気づいたらワイマール憲法がナチス憲法に変わっていた。誰も気づかないで変わった。あの手口、学んだらどうかね−−。
「憲法がよくても……」までは間違っているとは思わない。問題はその後だ。「ナチス憲法」とは、実際には憲法ではなくワイマール憲法の機能を事実上停止させ、ナチス独裁体制を確立させた「全権委任法」と呼ばれる法律を指しているとみられる。麻生氏の史実の押さえ方もあいまいだが、この変化が後に戦争とユダヤ人虐殺につながっていったのは指摘するまでもなかろう。
いずれにしても麻生氏はそんな「誰も気づかぬうちに変わった手口」を参考にせよと言っているのだ。そうとしか受け止めようがなく、国際的な常識を著しく欠いた発言というほかない。麻生氏は「喧騒(けんそう)にまぎれて十分な国民的議論のないまま進んでしまったあしき例として挙げた」と弁明しているが、だとすれば言葉を伝える能力自体に疑問を抱く。
憲法改正には冷静な議論を重ねる熟議が必要だと私たちも主張してきたところだ。しかし、麻生氏は討論会で自民党の憲法改正草案は長期間かけてまとめたとも強調している。そうしてできた草案に対し、一時的な狂騒の中で反対してほしくない……本音はそこにあるとみるのも可能である。
米国のユダヤ人人権団体が批判声明を出す一方、野党からは閣僚辞任を求める声も出ている。当然だろう。これまでも再三、麻生氏の発言は物議をかもしてきたが、今回は、先の大戦をどうみるか、安倍政権の歴史認識が問われている折も折だ。「言葉が軽い」というだけでは済まされない。
2日からの臨時国会で麻生氏に対する質疑が必要だ。安倍晋三首相も頬かぶりしている場合ではない。(2013年08月02日 毎日新聞)
「何度読み返しても驚くべき発言である。」とは、いったい何を何度も読み返したのか?
まさかあの、文脈から切り離された「一部分」であるまい。仮にも新聞記者なら当然、すでに報じられている「全文」を読んでいるハズだ。それで、〈「誰も気づかぬうちに変わった手口」を参考にせよと言っているのだ。そうとしか受け止めようがなく〉という結論に達したのであれば、「驚くべき」は、この記事を書いた記者の言語感覚、読解力の欠如こそだ。呑気に他人の「言葉を伝える能力自体に疑問を抱」いている場合ではない。
バカにも新聞の社説を書く自由はあるのかも知れない。しかし厄介なのは、それがいまだ少なからぬ「権威」を持っていることだ。
麻生副総理とイデオロギー的に対立する連中は、この明らかな「曲解」に目を瞑り、「敵」を貶める材料としてニュース=権威を活用する。また、情報リテラシーのない者たちは、がんらい思考することに怠慢なので、発言の真意などもはやどうでもよく、「権威」を表面的に模倣することで何事かを言った気になる。そのくせ「政治家は発言に責任を持つべき」などと、まるで空虚で無責任な紋切り型を口にしながら、庶民=善、国家権力=悪という、己の知性サイズに合った単純な二元論を上書き保存し、「権力者」の揚げ足を取ったことに幼稚な快哉を叫ぶのだ。
そうして大衆の間に、ある傾向の“空気”(塩野七生)が醸成され、動かぬものとなる。これは、いわゆる「従軍慰安婦」問題と同じ構造だ。
こんな下品でくだらないことを、日本の新聞はいまだ性懲りもなくやっているのだ。
我々はこの情報操作にこそ危機感を持つべきであり、怒りの矛先を向けなければならないはずだ。
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