知性
もし虫に「知性」というものがあって、もともと自分が光に向かう習性のあることを知ったとしたら? むろん知ったところで習性そのものは変えられない。せいぜいもっともらしく「走光性」と名付けて納得するか?
今さら行動経済学を引くまでもなく、人の選択は必ずしも合理的判断に基づかない。
そんなことは百も承知。“羮に懲りて膾を吹く”のも人間らしさの一面ではある。
しかしその上で、手にした情報を合理的判断の材料とし、膾を食うのは諦めても、せめて“飛んで火に入る”ことは避けようと努めるのが、「知性」というものではないか。
虫並みに知性なき者たちの「電気足りてる」論で、暑い夏になりそうだ。
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