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2013年6月

2013年6月30日 (日)

種明かし

手品の種明かしをされれば、なるほどそういうことだったのか、と思うけれども、不思議な現象を目にした体験が、それで完全に色あせてしまうわけではない。

2013年6月29日 (土)

不誠実

どうあがいても明らかに才能のない者に、「いやいや、誰にだって才能はある」だとか、その手の美辞麗句で自尊心をくすぐり、金を出させる自費出版的なやり方は、詐欺とまではいわないが、少なくとも不誠実のそしりは免れぬのではないか。「相手がそれを望んでいる。こっちだって仕事だ」っていうのも、まあわからんではないけれども。

模倣

選挙が近づき、メディアはまたいつものごとく独善的で紋切り型の政治批判を繰り返す。いったい何のルサンチマンか、いっぱしに「もの申す」態度を、しかし決して自分の傷つかぬ場所でしたがる者が、さしたる根拠も批評性もないままに、あたかも我が意を得たりという顔でそれを模倣する。

2013年6月19日 (水)

基礎学力

小学生並みの文章力の持ち主が、自らの体験を引き合いに出し、義務教育の無効性を主張しているのだが、陳腐な批判の内容以前に、「てにをは」すらも怪しいその文章自体が、基礎学力の大切さを示している。

2013年6月18日 (火)

争点

争点を論理的に明確化することを避け、通念的な「優しさ」を武器としたがる者は、しかしそれがある人にとってはむしろ暴力的であるという視点を欠く独善的人間であるから、異なる意見の持ち主に対しては、ひどく攻撃的なのだ。

2013年6月 9日 (日)

ちぐはぐ

論点がちぐはぐなまま話の進行することに耐えられない。

柔軟性

「柔軟性」などというと、なんだか処世術の語彙のような気がする(そう感じるのは私だけかもしれんが)し、その通念的に「正しい」響きが、妥協の言い訳に使われがちなのもイヤなので、「不真面目さのマネジメント」などと言い換え、これが自分ではわりにしっくりきているのだけど、やっぱりわかりにくいか?

2013年6月 8日 (土)

知性

もし虫に「知性」というものがあって、もともと自分が光に向かう習性のあることを知ったとしたら? むろん知ったところで習性そのものは変えられない。せいぜいもっともらしく「走光性」と名付けて納得するか? 

今さら行動経済学を引くまでもなく、人の選択は必ずしも合理的判断に基づかない。
そんなことは百も承知。“羮に懲りて膾を吹く”のも人間らしさの一面ではある。
しかしその上で、手にした情報を合理的判断の材料とし、膾を食うのは諦めても、せめて“飛んで火に入る”ことは避けようと努めるのが、「知性」というものではないか。

虫並みに知性なき者たちの「電気足りてる」論で、暑い夏になりそうだ。

2013年6月 7日 (金)

権威主義

かつて“進歩的”とされていたものを、頑なに、鰯の頭みたいに信じる保守的左翼は、なるほど、しばしばひどく権威主義的だ。

諸刃の剣

発売前に「有名人」に視聴させて好意的な(あるいはあえて辛辣な)コメントをもらい、広告に活用するってやり方は、結構諸刃の剣ではないかという気がする。端的にいって感じ悪い。

2013年6月 6日 (木)

無自覚

雑な思考も俗情との結託で正当化できるという、その高をくくった態度に苛立つのだ。苛立つだけでなく、現に実害を及ぼしている。そのことにすら無自覚なわけだ。

2013年6月 5日 (水)

当事者

私は自身の「正義」を立証するために「悪」をつくり出したいわけではない。
事実関係を正確に掴みたいのだ。さしあたりそれに対処せねばならん「当事者」なのだから。
その策を講じる時間を、誰かの保身のために削られるのが迷惑なのだ。
責任の追及は後だ。まして一般論など。

傍観者

傍観者が推論に基づく、しかもちぐはぐな論点で、問題を通念的な落としどころに誘導するなよ。イライラするなあ。

2013年6月 4日 (火)

本末転倒

http://www.city.kawasaki.jp/tama/page/0000048743.html

平素より多摩市民館をご利用いただきありがとうございます。
多摩市民館では年間を通して節電行動を実施させていただきます。
冷房の稼働は7月1日を予定しておりますが、その期間皆様には、
ご迷惑をおかけすることをお詫び申し上げますとともにご理解と
ご協力をお願い申し上げます。

  平成25年6月                   多摩市民館

演出家として、また一人の川崎市民として、「ご理解とご協力」などできるものか。
6月末にここで上演する芝居の惨状は、容易に想像しうる。

節電=“絶対”善という、視野狭窄の世論におもねった一面的正義が、かように阿呆な事態を招くのだ。まるで、「健康のためには命も惜しくない」的な本末転倒ぶりだ。
ていうかこれ、冷房を入れる/入れないの判断基準を日付でなしに、その日の気温にすりゃいいだけだろう? なぜこんなことすらできないのか? 実に馬鹿げている。
多摩市民館は猛省し、ただちに態度を改めよ。

2013年6月 3日 (月)

優しい

照れでも自虐でも何でもなく、“優しい”などと評されると、ずいぶん安く見積もられたもんだな、と思う。

2013年6月 1日 (土)

振り払う

「そうだよ、な?」と肩を組まれて黙っていたら認めたことになる。だからその手を振り払うのだ。

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