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2013年5月

2013年5月30日 (木)

Oldサヨクの衰退

VIRGIN KILLER

スコーピオンズの「VIRGIN KILLER」持ってるだけで逮捕とか、そういう冗談みたいな話がホントになる日が来るかもね。
つか、持ってんですけど。
ひとたびそういう流れができればファナティックな世論がそれを正当化していくだろう。禁煙ファシズムと同じ構造だ。

2013年5月29日 (水)

敵の敵は味方?

2013年5月28日 (火)

拠り所

漠然とした反抗心をおのが正義の拠り所とする愚か者。

客観

何をもって「客観的」であるとするかは常に難しい問題だけれど、そのことが、客観的であろうとする態度を放棄していい理由にはならないんだよ。

踊り場

2013年5月27日 (月)

美徳

見つめ合って「うん、信じる、根拠はないけど」。
これが外交において美徳と思ってるような人とはそもそも話ができんよ。

小野田寛郎さん従軍慰安婦を語る

いわゆる「従軍慰安婦」問題

何度も同じこと言わせんな。

http://kazutakaimai.cocolog-nifty.com/kazutakaimai/2013/01/vs-c723.html

カルト

信じたいものしか信じない。「バカの壁」を引くまでもなく、多かれ少なかれ人はそういうものだけれども、ファクトに基づく学問的考察も、おのがイデオロギーと異なれば、そのプロセスからも蓋然性からも目を背け、口汚く研究者への人格攻撃で退ける。
その偏狭さをカルトというんだよ。

2013年5月23日 (木)

ウェルメイド

意外と王道、としばしば言われるのだが、俗にいうウェルメイドな作風ではない、という自覚はある。
「書けないから書かない」のではないし、かといって「書けるけど書かない」のでもない。
書けないし、書かない。
それだけだ。

めんどくさい

「だけど、めんどくさい人ですよ」というから、それに関しては私も人後に落ちない自覚があるので「構わない」と言ったのだけど、蓋を開けてみりゃ、めんどくさいというよりも、単に礼儀知らずのバカだった。

2013年5月22日 (水)

卑怯者

「権力とはいくつもの手続きからなる総体である。」この認識から権力メカニズムの分析が権力に関する理論の端緒になると理解できる。-安全・領土・人口-(フーコー)
これを都合良く忘れて、個人VS国家権力の単純な二元論に持ち込みさえすれば、イノセントな私でいられると高をくくってる時代遅れの卑怯者が許せないんだよ。

2013年5月21日 (火)

教条的

通らぬ筋を信念で補強しようとする態度を教条的というんだよ。

2013年5月18日 (土)

便りがないのは良い便り

「便りがないのは良い便り」というが、「返事」がないのは「悪い便り」か、あるいは単に「失礼」か。

2013年5月17日 (金)

うさぎとかめ

亀はずるい、兎を起こしてあげるべきだったのに、という話を、小学校のとき担任の先生がして、何いってんだこいつバカじゃなかろか、と子供心に思ったもんだった。

前衛

表層的にいかにも前衛げなものほど、保守的なものはない。いや、保守的というより、甘えだな。

2013年5月16日 (木)

社会派

遠い国の戦争や自国の悪行には饒舌なくせに、話題がこと拉致問題に及ぶと途端にダンマリをきめこむ“社会派”なんぞ、信用できるわけがない。

ゆとり

よくまあそのザマで「ゆとり世代」とかバカにできんな、と思うことがしばしば。

2013年5月15日 (水)

根拠

学生時代に作文が得意だったから、などというのが「書く」根拠であるなら、作家になろうなどと思わぬほうがいい。

遅筆

遅筆など何の自慢にもならん。自覚があるなら逆算して早くにスタートさせればいい。アホか。

2013年5月 9日 (木)

ぬるさ

若者に理解を示さないのは過去の自分を忘れたからじゃないんだよ。その温さが今となっては許せないからなんだ。

「国益とか言うが、そういうことをわれわれが判断する立場にない」

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130509/stt13050907570000-n2.htm

記事によれば、参院民主党幹部がこう言ったらしいが、だったら今すぐ国会議員なんか辞めちまえ。

2013年5月 4日 (土)

群衆

人間はがんらい未知なるものとの接触に恐怖を覚えるものであり、しかし「群衆」の中に身を置けば、この恐怖から解放される。周囲の人々を押している「私」も、他の人々と同じことをやっているに過ぎない。その相互に働く「力学」の中で、人々は他者を自分自身のように感じる。
私の言葉も交えてざっくり要約すると、だいたい上記のようなことをエリアス・カネッティがいっている。「接触恐怖の転化」が、群衆が密集しようとする理由のひとつなのだと。

2013年5月 2日 (木)

楽しくなきゃ

自分が楽しくなきゃ相手も楽しくない、というのはそうかもしれんが、自分が楽しきゃ相手も楽しいとは限らない。

念ずれば通ず

念ずれば通ず、みたいのが是とされる風潮がイヤ。

実話

「実話をもとにした」云々というふれこみは、はたして付加価値になるんだろうか? 「だから何?」と思ってしまう私は少数派か?

不問

通念的な善悪の「善」の立場を最終的に採りさえすれば、そこに至るロジックの矛盾は不問に付されるだろう、という甘ったれた考えを、許さない。

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