現前性
現前性を無条件に肯定し、補強し、保存したいとは思わないが、しかし逆を行くだけでは意味がない。それは結局、同じ地平で立ち位置を変えたに過ぎない。そういう子供っぽい「跳ね返り」にはもはやまったく興味がない。
むしろ現前性がいかにしてそれを獲得するに至ったか。つまり足下のこの「地平」が、どういう成分で構成され、どういう回路を経て、今、キープされているのか。
「大衆」というものを、大衆の中にあって、見極めたいのである。
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