小さな君の手
ファンキーモンキーベイビーズ的なヒューマニズムに対する嫌悪感はよーくわかる。文字通りそれを唾棄して見せた(唾ではなくてゲロだけど)ってことだろうが、表現が直截的過ぎる。ひねりが足りん。ていうか「唾棄」以前で完結させたままにしておけば、不気味な問題作として異様な光を放ち続けただろうに。
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ファンキーモンキーベイビーズ的なヒューマニズムに対する嫌悪感はよーくわかる。文字通りそれを唾棄して見せた(唾ではなくてゲロだけど)ってことだろうが、表現が直截的過ぎる。ひねりが足りん。ていうか「唾棄」以前で完結させたままにしておけば、不気味な問題作として異様な光を放ち続けただろうに。
私も「はみ出し者」であるという自覚はあるが、それは当然、多数のはみ出してない者のあることが前提となっている。基準がなければはみ出すことさえできない。そういう意味で私は保守的な人間だと思う。
著者は書く。
「全体の勝利を信じなければ、個人としての私たちは、安んじて脱落することさえできないのだ。(P143)」
アルフレッド・ヒッチコック監督作品。渡米第一作。アカデミー作品賞・撮影賞受賞とのこと。
話は3つの部分から構成される。
①モンテカルロのホテルで、主人公の女が後の夫マキシムと出会う。
②マキシムの邸宅にて、主人公が、死んだ先妻レベッカとの比較に苦しむ。
③レベッカの死の謎を巡るサスペンス。
原作にほぼ忠実に映画化したとのことだが、私の感想としては、②だけでよかったんじゃないか? と。
むろん、それなりに楽しめはするし、どんでん返しに驚きもするのだが、せっかくの主題に踏ん張りきれずに「物語」に逃げた印象。
何度か見ているが、初見の時から私は、世間でしばしば話題になる戦闘シーンよりむしろ、百姓のおぞましさに身震いしたものだ。
言わずと知れた、戦後を代表する保守派の論客。劇作家にして演出家、翻訳家、評論家。久しぶりに本書を読み返してみた。
いささかも古びてない、といったら、さすがにそれは言い過ぎで、ちょっと今の時代には…と感じてしまう部分も、あるにはあるのだが、しかし肝腎なところは今でも充分通用する。というかむしろ今、読まれるべき作家なんじゃねーの、と私は思う。
「読まれるべき」と書いたからには、続けてその理由を述べねばならぬが、私にもささやかながら「世間」というものがあって、あんまりこういうところで他人の悪口をズケズケ書くわけにもいかんのです。
ともあれ、こんな演劇人が同時代にいて欲しかったぜ!
萩原朔太郎『猫町』のモトネタともいわれるが、読み終えて、一言。
うーん、つまらん!
でも劇化するならこっちの方が遙かにしやすいよ。する気が私はまったく起きないけれど。
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