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2012年4月

2012年4月30日 (月)

夢を見た⑧

過去に失礼なことをされて、現実にはもう二度と会うこともないだろう昔の知り合いと、夢の中で会う。
どうやら札幌であるらしい。
町を歩きながら、ここのビルには誰それが勤めている、などという相手の話に、「へえ、そうなんだあ」と、興味もないのに努めてにこやかに相づちを打つ私。
そのとき通りすがりの他人が、知り合いの逆鱗に触れるような政治的な話をしているのが聞こえてきたので、私は咄嗟に「そういえば、こないだ、自転車で函館まで行っちゃってさあ」と、どうでもいい別の話題を振った。
「着いたと思ったら、すぐ帰らなきゃいけなくて、五稜郭とか見れなかったよ」
「へえ」
「やっぱ、電車で行くべきだったね」
「なにで行ったの?」
「だから、自転車だってばあ」と、私はおどけながらも腹の中で舌打ちしている。こいつホントひとの話聞いてねえな、相変わらず失礼なやつだ、と。

目が覚めて、函館なんて一度も行ったことがないことに気づいた。

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2012年4月28日 (土)

中華街

横浜中華街で、以前、“失敗”したことのある店に再び入ってしまった。
店名を覚えていなくて、店の中に入ってから「しまった、あの店だ!」と気がついたのだ。
なにしろ美味しくないので空いている。
空いているから、すぐ店員がやってくる。
「しまった」と思ったときにはもうすでに席に案内されている。

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2012年4月25日 (水)

くっついて安心

少年ナイフ、サボテン、D-DAY、コクシネルのオムニバスアルバム。
高校生のとき、サブカル雑誌「宝島」に掲載された広告を見て、通信販売でLPレコードを買ったんだと思う。 “インディーズ”ってのが、すごく流行った時代。
凝ったブックレットがついてたはずだが、さすがにどこかへやってしまった。

2012年4月23日 (月)

細部

通りを一本奥に入ったところに、“いかにも”って感じのラーメン屋。
店内は予想通りの「昭和」のおもむき。カウンターの他に、脚がパイプのテーブルが三つ、メニューの紙を貼った黄ばんだ壁に、くっつけて置かれてある。テーブルの天板の裏にしつらえてあるパイプの棚には、たくさんの週刊誌やマンガ雑誌。初老の先客が、ぶりの照り焼きを肴に、焼酎のお湯割り(グラスの底には、割り箸でつぶした梅干し)を飲みながらテレビを見、すぐ隣のカウンター席で、店主がスポーツ新聞をひろげていた。
店は夫婦で切り盛りしているらしく、私が入口近くの席に座ろうとすると、奥さんと思われる、おばちゃんというか、おばあちゃんが、
「こっち座んな。こっちのが、テレビよく見えるから」
と、べつのテーブルの椅子を引く。
そのテレビは当然、チャンネルをガチャガチャ回す古いタイプのやつであってほしいとこだが、そうじゃなく、小さいながらも薄型フラットテレビで、リアルはこういう細部に宿る。

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2012年4月22日 (日)

魅惑のムード

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父か母(おそらく父だろうな)が、若い時分に買ったと思われる古いレコード「Fascinatin' Mood Music(魅惑のムード)」。
私が今のマンションに引っ越して、実家からレコードプレイヤーを送ってもらったとき、頼んでもないのに一緒についてきた。
全部で60枚くらいあるシリーズものの一枚らしいのだけど、「高度経済成長」の匂い漂う、レトロなジャケットが、古さを一周して、むしろオシャレ。
レコード盤に針を落とすと、まあ毒にも薬にもならないムード音楽なのだけど、たまにはこういうのもいいね。

2012年4月21日 (土)

稽古開始!

本日より「ジョマクノギ」稽古開始!
本番は2012/06/14(木) ~ 2012/06/17(日)
のんびり構えてると、けっこう、すぐだ。
 
前売り開始は5月14日。
すでにお問い合わせもいただいている。ありがたいことだ。
自分でいうのもナンですが、絶対いい芝居になります。これを見ないで何見るの?
check it out!

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2012年4月20日 (金)

ぼんやり

夕方用事があって、5時半には家を出たいと思っていたのだが、起きたら5時。
げ、寝過ごした!
あわてて服を着替え、顔を洗って歯を磨く。
窓の外はすっかり暗い。
なんか、おかしい…。

朝の5時なのだった。

そんなわけで、一日中ぼんやりしていた。
目的地に向かう電車の中で、仕事先からケータイにクレームのメール。
ちっと舌打ち。今日は帰りが遅くなるので明日やります、と返信。
 
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2012年4月19日 (木)

新聞配達員

マンションが雁行タイプで、つまり建物がジグザグに設計されていて、玄関からエレベーターまで行くのに、いくつかの角を曲がることになる。
早朝、まだ暗い時間にゴミ出しに行くと、曲がり角から不意に新聞配達員が顔を出した。
「おおっ!」
新聞配達員がのけ反って声をあげた。
相手からしてもやはり、ジャージ姿の男が両手に半透明のゴミ袋を提げて突然現れたことになるわけだ。
すれ違いざまに、新聞配達員が、チッと舌打ちした。
それで私はカチンときた。今のはどういう意味の舌打ちだ?
 
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2012年4月17日 (火)

他人とは思えない

NHK教育の「おかあさんといっしょ」を、“たくみお姉さん”目当てでときどき見るのだが、「ぱわわぷたいそう」で踊りの輪に入らず、後ろの方でつまんなそーにしてる子供が必ずいて、他人とは思えない。

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2012年4月14日 (土)

『麒麟館グラフィティー』吉村明美

大学4年間を札幌で過ごした私にとっては、作中に描かれる風景がまず懐かしい。
しかし登場人物の、とくに“悪い男”の造形が類型的すぎたり、物語の展開がご都合主義だったりと、気になるところは少なくない。
それでも、男勝りな「妙」のキャラクターは魅力的に描かれていると思うし、全巻読み通してみれば、ハッピーエンドを素直に喜べた。
 
ただ―これは作品とは直接関係ないけれども―文庫の各巻末にはエッセイがついていて、1巻で、なんとかという大学教員が、こうケチをつけている。

作品中に出てくる離婚届けの記載事項や手続きについては詳細だが、そのわりには制度に対しての批判力が弱い。宇佐美菊子は、第六二話で火野菊子と紹介される。婚姻届けを出し、再び火野美棹を戸籍筆頭者とする家の妻となり、夫の姓にしたのだ。作者は菊子と火野の愛の成就を、火野菊子と表現した。作者は、秀次が菊子に要求した「妻」は、婚姻制度がうみだす男性支配の構図であると充分気付いていたのではなかったのか。

いかにも浅薄なフェミニスト。ここまで的外れでバカ丸出しの文章を、わざわざ収録する必要があったのだろうか?

2012年4月13日 (金)

ミサイル

“平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した”ハズの日本国民が、北朝鮮のミサイル発射に戦々恐々。
しかしどこまで本気なんだか。北朝鮮のことではない。こんなときに防衛相が田中直紀である、この国のことだ。

さいわいにして、ミサイル発射は失敗に終わったようだ。
ある種の人々の脳内では、これまた憲法9条のおかげということになるのだろうか? むろん憲法改正すればすべてがハッピーというわけではないが、現実の因果関係と相関関係とを意図的に混同する、その欺瞞が気に入らない。

2012年4月12日 (木)

将来像

子供の頃、大人になったら何になりたいか、と問われれば、野球選手でもパイロットでもなく、迷わず「エーセー屋さん」と答えていた。
エーセー屋さんとは衛生局の職員、つまりバキュームカーで便所の汲み取りをする人のことだ。
「夢がない」と、親はうなだれた。

私が子供の頃は水洗便所はまだ少なくて、汲み取り式が主流だった。バキュームカーが来ると、子供らにとってはちょっとしたイベントで、「臭い、臭い」とはしゃぎながら、そのタンクを背負った車を意味もなく追いかけてまわったものだった。
そしてこれが子供にとって、大人の「労働」らしい労働に直に触れる唯一の機会だった。

私は労働に憧れた。そしてこんな空想をした。
「今日も一日お疲れ様」
夕方、縁側で母がお茶を出す。
私は臙脂色のゴム手袋を外し、タオルで汗を拭い、熱いお茶をズズズと啜る。
これがあるべき私の将来像だった。

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2012年4月11日 (水)

半分人間

1985年に初来日したノイバウテンを、当時、テレビのニュースかなんかで見て、ななななんだ?! と驚いた記憶がある。
その後、インダストリアル・ミュージックのブーム(?)のとき、札幌のUK EDISON(というレコード屋が昔、狸小路の端っこにあったのだ)で、その手のレコードをジャケ買いしては、たいてい後悔したものだけど、ノイバウテンの『半分人間』は、今聴き直すと意外とフツーに「音楽」していて、叙情的ですらある。

2012年4月 9日 (月)

少なくとも

『「つまらない話だよ」と僕は言った。「少なくとも君が期待しているような面白い話じゃない」』
ある国民的作家の小説の一節なのだが、誰の何という作品なのかは、この際、どーでもよろしい。この「少なくとも」を「少なくても」と書いているのを最近しばしば目にする、という話。
たとえば、
「明日のパーティ、何人くらい集まりそう?」
「10人、少なくても8人」
これはまあ、意味内容からしてぎりぎり、アリかな、と思う。
しかし「少なくても君が期待しているような~」という文章には、ある程度の年数、フツーに会話しフツーに本を読んでりゃ、理屈抜きで違和感を覚えるハズだ。だから、そんな書き方をするのは、おおかたガキだろう、と思っていたら、なんと私より年上の、劇作家だってんだから呆れた次第。しかも書かれてある内容はバカのくせして社会派のインテリ気取りで、やれやれ、まったく恐れ入ったぜ。

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2012年4月 8日 (日)

香水

古本屋で、女流作家Sの本をまとめ買いしたら、そのうち一冊に、前の持ち主のものと思われる香水が強烈に染みついていて、ページを開くのもためらわれるほど。
その匂いが、やがて私の中で、女流作家の匂いとなる。

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2012年4月 7日 (土)

品川宿

品川宿(しながわしゅく、しながわじゅく)は、東海道五十三次の宿場の一つ。東海道の第一宿であり、中山道の板橋宿、甲州街道の内藤新宿、日光街道・奥州街道の千住宿と並んで江戸四宿と呼ばれた。
慶長6年(1601年)に中世以来の港町、品川湊の近くに設置され、北宿、南宿、新宿にわかれていた。場所は、現在の東京都品川区内で、京急本線の北品川駅から青物横丁駅周辺にかけて広がっていた。目黒川を境に、それより北が北品川、南が南品川とされた。
古典落語の廓噺(居残り佐平次、品川心中等)の舞台となっており、他の宿場がそうであったように岡場所(色町、遊廓、飯盛旅籠)としても賑わっていたことが覗われる。1772年、幕府は飯盛女の数を500人と定めたが実効性がないまま増加。1844年1月に道中奉行が摘発を行なった際には、1,348人の飯盛女を検挙している[1]。その後も遊廓としての賑わいは、昭和33年(1958年)の売春防止法施行まで続いた。
(Wikipedia)

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君恋し

http://www2.jasrac.or.jp/eJwid/main.jsp?trxID=F20101&WORKS_CD=02401517&subSessionID=001&subSession=start

ふるさとは遠きにありて思ふもの

ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
よしや
うらぶれて 異土の乞食となるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都のゆふぐれに
ふるさとおもひ涙ぐむ
そのこころもて
遠きみやこにかへらばや
遠きみやこにかへらばや

言わずと知れた室生犀星の作。

先日、私は詩人・萩原朔太郎の取材のために、群馬へ帰郷した。
帰る前はいつも、美化された思い出に郷愁を誘われる。しかし実際にそこに行くと、運転免許を持たぬ私はまず、電車の本数の異常な少なさに「ああ、そうだ、田舎ってこうだった!」と思い知らされることになる。
ちなみに室生犀星と萩原朔太郎は親友として知られる。
 
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2012年4月 6日 (金)

ドラマドクター

最近、わりとあちこちで見かけるこの言葉。
何なの、それ? 
って思い、調べてみたら、こういうことであるらしい。

〈劇作家に対して客観的な立場から戯曲に対しての批評や診断を行う役割りのことで、観客に近い視点で、作品に対して様々なアドバイスをする職人的な仕事です。〉http://www.seinendan.org/jpn/info/orizainfo.html

ふーん…。
で、患者はヤブ医者をクビすることができんのかね? 

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2012年4月 4日 (水)

体温計

子供の頃、熱を出すといつも、母が額をごっつんこして、
「あら、この子、熱があるんじゃない?」
と、水銀の体温計を持ってきた。
なのでずっと、体温計というものは、熱を下げる効果があるのだと思っていた。

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2012年4月 3日 (火)

公衆便所

歯が痛みだすと、急に町中に歯医者が増える。
畳がすり切れると、やたらと畳屋が看板を出す。
だが、不思議なことに、公衆便所だけは、求めれば求めるほど姿を消す。

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2012年4月 2日 (月)

ハナタラシ

ユンボでライヴハウスの壁を壊しながら登場する。チェーンソーで猫の死骸を切り刻み、客席へ投げつける。ビール瓶をステージ上で割り、客席へ投げつける。大量の板ガラスを客席やフロアへ投げつける。…「当該コンサートの開演中にいかなる事故が発生し危害が加わろうと主催者側に何ら責任がないことを誓約いたします」と、観客に誓約書を書かせたうえでライヴを行う。(Wikipedia)

当時田舎の高校生だった私も、“誓約書”などの伝説は知っていた。東京って恐いとこだなあと思ったもんだった。

2012年4月 1日 (日)

4月1日

さて、そんなわけで4月である。
来年の今日は、北品川フリースペース「楽間」で仕込をしているハズだ。
そしてその翌日から6日間行われる公演のホンを、今、書いている。
私にとって初の“原作もの”。といっても、登場人物から何から、ほとんどオリジナルに近いのだが…。演目は、まだヒミツ。

戯曲スタイルの下書きが、9割程度終わったところだ。残り1割を「ジョマクノギ」稽古開始(4月21日)までに書き終える予定でいる。書けるだろう、とりあえず。
「ジョマク」稽古と並行して、「楽間」公演の予算、企画書作成等、諸々の事務作業、その後スタッフの手配、役者の出演交渉など順次進めていく。
時間は、あるようで、結構、ない。
そして「ジョマク」の公演終了後、つまり6月17日以降、本格的な推敲に入る。(公演の決算業務があるので、実際にはもう少し後にずれ込むが)
実は、ここからがやっと“執筆”のスタートなのだ。今やってるのはその下準備。
まだまだ先は長い。

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